宋史卷三百九十五 列傳第一百五十四 任希夷
経歴
- 任希夷は字を伯起といい、先祖は眉州人。四世祖の伯雨は諫議大夫、その後閩に任じ邵武に家した。希夷は少くして刻意して問学し文を精苦に作り、淳熙3年進士第、建寧府浦城簿に調せられる。朱熹に学び篤信力行、熹は「伯起は開済の士」と評した。開禧初、太常寺簿として紹熙以来の礼書が未だ編次されず歳月を経て散逸を恐れることを奏し、本寺に修纂を命じるよう請い、従われた。礼部尚書兼給事中に遷り、周惇頤・程顥・程頤を百代絶学の唱と評し、その議定と諡号を賜るよう請い、その後、惇頤に「元」・顥に「純」・頤に「正」の諡が与えられたのは皆希夷の発案であった。端明殿学士簽書樞密院事兼権参知政事に進む。史彌遠が久しく国を柄り執政はみな員に具わるのみとされる中、議者はやや希夷が拱黙していると譏った。臨安洞霄宮提舉、薨、少師を贈り「宣献」と諡した。