宋史卷三百八十六 列傳第一百四十五 黄祖舜
出自と諫言
- 黄祖舜は福州福清の人。進士に及第し軍器監丞に至り、対上で「県令は銓曹の資格のみでなく郡守に汰選を委ねるべき」と論じた。権守尚書屯田員外郎、吏部員外郎を経て泉州通判として、科挙以外の道での賢良の登用(郷挙里選の趣旨)を建言し容れられた。
- 倉部郎中・右司郎中・権刑部侍郎兼詳定敕令司兼侍講として論語講義を進呈、金安節による校勘を経て国子監での板行が命じられた。李寳の武勇を推薦し帯御器械に任じさせた。
- 張浚の薨去に伴う家臣の恩典要求を制限し、勲臣家の兵校の留任枠を5分の1に限定させた。官田の授与や恩澤の乱用(梁舜弼・漢弼・保義郎の閤門祗候補任、劉堯仁・韓彦直の昇進など)を次々是正した。
- 楊愿の遺表恩、秦熺への太傅贈与について、いずれも秦檜への荷担を理由に撤回させた。同知樞密院事として、金主亮の淮河侵攻での王権の敗走に際し、劉錡の功績を評価し「権・汜を誅すれば劉錡は媿忿して死ぬかもしれない。一敗の兵で三将を殺すのは敵を喜ばせるだけ」と諫めた。官に薨じ、諡は莊定。