宋史卷三百五十六 列傳第一百十五 賈偉節

生涯

  • 開封の人。進士及第、両浙転運判官として民間の利病を上奏、直祕閣を加えられ江淮発運副使。蔡京が東南転般法を直達綱に改める際率先して協力、上供物を都まで直送する巨船二千四百艘を造船。
  • 違法輸送を厳罰化し花石・海錯の急速な徴発を助長した功で戸部侍郎・刑部を歴任、顕謨閣直学士・醴泉観提挙で卒。

史論②

  • 欧陽修の朋党論(君子は同道を朋とし小人は同利を朋とする)、蘇軾の続編(君子は不遇でも身を引き道を楽しむが小人は僥倖を求め怨みを返す)、秦観の論(人主が邪正を弁別できねば君子小人ともに廃されるか、両存すれば小人が勝つ)を引き、徽宗はこれらを察せず紹述の説に惑い姦を崇め正を貶めた。
  • 紹聖は元祐を党とし、崇寧は元符を党とし、鄭居中・張商英・蔡京・王黼らが互いに党と呼び合い収拾がつかなくなり、党で人を破り党で国を破り、衣冠が塗炭に落ちる惨状が三十年続いた。その禍は東漢の党錮・唐の牛李の党争を凌ぐものであった。劉昺・强淵明・宋喬年・劉嗣明は器量の小さい者に過ぎないが権勢を振るい、朋党の説が国を空しくする様はかくのごとしである。