宋史卷三百五十三 列傳第一百十二 宇文昌齡

経歴

  • 宇文昌齡、字は伯修、成都雙流の人。進士甲科から熊本の梓夔経制に参画し南平城砦の築造を献策、大理丞・秦鳳路常平提挙・両浙。司農の図籍整理を神宗に命じられ監察御史として鄜延の劉紹能誣告事件の実態を調査し虚偽と断じた。
  • 尚書省の比部員外郎として制度整備に尽力、大臣による私的な弾劾工作を退けられ、吏部員外郎・京西転運副使・左司員外郎、遼使との宴礼の礼を正した逸話も残る。太常少卿として郊祀合祭論争で天地は本来異なる祭祀を要すると論じたが後にその議が採用された。
  • 直祕閣・知梓州、寿州・河中府・鄧鄆青三州、徽宗朝で刑部・戸部侍郎、陝西の辺境糧秣輸送制度を改め年五百万の経費を節減、寳文閣待制・知開封府、戸部侍郎・青杭越三州知事を経て年六十五で卒。

宇文常――経歴(附伝)

  • 子の宇文常、政和末、知黎州として大渡河外への築城反対論を「蜀取得以来百五十年無事だった均衡を壊す」と説き実現を防いだ。成都路茶馬提挙として提挙官の不正な差益取得を革め馬の入荷額を回復させ、䕫州知事・秘閣修撰を経て中大夫で卒した。