宋史卷三百五十一 列傳第一百十 林攄
経歴
- 林攄、字は彦振、福州の人(蘇州に移居)。蔡京の下で熙寧元豊故事編纂に携わり屯田右司員外郎、河北巡察で辺備の具体策を陳じ徽宗に高く評価され進士第を賜り翰林学士に至った。
- 契丹使としては傲然と夏人問題を弁じ、遼側に無礼を働いて客館を封鎖され三日間食料を絶たれる報復を受けた。復命後、禮部尚書から頴州知事に落ちたが、大駔の銭を疑い蔡京の銭法改鋳を見破る一件で京の信頼を得、開封尹、張懐素の妖獄処理でも京を庇い深く恩を売った。
- 兵部尚書、同知樞密院、尚書左丞、中書侍郎と急速に累進したが、貢士の姓名を誤読するなど学識の浅さを批判され滁州に落ち、越州・永興軍知事、端明殿学士として揚州で盗賊摘発の逸話を残した。契丹への恨みから燕雲侵攻を煽る発言をし、その後の北伐の遠因ともなった。年五十九で卒、開府儀同三司を追贈されたが靖康元年に京の党として節度副使に貶められた。