宋史卷三百五十 列傳第一百九 和斌

経歴

  • 和斌、字は勝之、濮州鄄城の人。徳順軍指揮使として五年で十度負傷し、劉兼濟の兄の敗死に連座した際に家族を密かに保護して恩を返した。狄青の南征で前鋒を務め歸仁駅で孫節戦死後も血戦して敵を破った。
  • 文思副使、権広西鈐轄、秦鳳広西の兼任辞退や交州出兵反対論を通し神宗に「質直」と評された。渭州飢饉では吏の賑給提案を「策なき救済は殺すも同じ」と退け自ら適地を選んで多くを救済。安南入寇にも従軍し累遷皇城使・昭州刺史。
  • 撫水蛮羅世念の反乱では龍江渡河策を逆用して大破し、投降四千八百人を得て栄州団練使・知宜州、西上閤門使・知邕州を経て龍神衛四廂都指揮使・歩軍都虞候で卒、年八十、寧州防禦使を贈られた。清廉で辺人の心を得たと評された。

和詵――経歴(附伝)

  • 子の和詵、蔭補で右武大夫・威州刺史・知雄州となり、遠射能力の高い弓「鳳凰弓」を制した。相州観察使として童貫の燕京攻略に従い种師道軍に副統制として参陣したが白溝の敗戦で偵候不実の罪に問われ濠州団練副使に貶謫、後に平燕の恩赦から外されたが復官して卒した。