宋史卷三百四十四 列傳第一百三 顧臨
出自と河北都転運使としての活動
- 顧臨、字は子敦。会稽の人。訓詁に長じ皇祐年間説書科に挙げられ国子監直講となった。熙寧初年、神宗は臨の兵論好きを知り武経要略の編纂を命じた。
- 湖南転運判官・提挙常平を経て、開封府推官、河東転運使、給事中に進み、元祐2年(1087年)河北都転運使として黄河の東流化事業に携わった。蘇軾ら翰林学士や梁燾が留任を求めたが認められなかった。
- 給事中として復帰し、刑・兵・吏三部の侍郎、侍読、翰林学士を歴任。紹興初年、龍図閣学士として知定州、応天・河南府に転じたが、梁惟簡の事件に絡み転運使郭茂恂に劾奏され職を奪われ歙州知事となり、党人に付会したとしてさらに饒州居住となった。享年72で没し、徽宗即位後に復官した。