宋史卷三百二十四 列傳第八十三 李允則

李允則(字垂範)

  • 済州団練使李謙溥の子。太平興国7年、静戎軍の榷場設置を担当し、京師の河川治水や鄭州の水磑を創設した。西川の劉旰の乱後、城の修築の是非を巡り視察を行った。
  • 高溪州蛮田彦尹の侵寇を招輯で鎮め、供備庫副使・知潭州として、馬氏以来の地税・屋税・枯骨税などの重税を軽減し、茶税制度も改定した。饑饉時には転運使の反対を押し切り自らの家財を担保に先賑を実施し、募民による軍籍拡充も行った。
  • 知滄州として濬井・葺屋の防備策が契丹来襲時に功を奏し、真宗から「善為備」と称された。西上閤門副使として鎮定高陽三路の兵馬都監を務め、王超の敗戦後の混乱を鎮めた。契丹との和議後は知瀛州として和好派を貫いた。
  • 知雄州では、榷場での不用品貿易を放任し、契丹の甕城合一・東嶽祠建立を名目に城壁を拡張、屋根の瓦甓化・倉廩営舎・水磑の整備など雄州の都市基盤を大きく発展させた。契丹の間諜を饗応の上厚遇して送り返す一方、実利を得る駆け引きも行った。
  • 甲仗庫の火災時にも動じず楽を続けさせ、実際には巧みに損害を隠して対処した逸話、雲翼卒の逃亡兵を厳しく追跡し斬った逸話などが伝わる。天聖6年、康州防禦使で卒した。事功が最も多く、飾らない統治で知られた。