宋史卷三百二十二 列傳第八十一 劉庠

劉庠(字希道)

  • 彭城の人。8歳で詩をよくし蔡齊に子として娶わされた。将作監主簿から進士に及第し、英宗の求直言に応じて上書、日食に伴う仁宗神御殿の華美を戒め、皇城の警備を糾した。
  • 儲嗣未定を憂い漢文帝の故事を引いて穎王擁立を進言、神宗立後は殿中侍御史・右司諫として対戎策で「守信」を上策とし、契丹使との忌日の衝突を丐免した。
  • 河東転運使として鉄利・鹽礬博易を興し、天章閣待制・河北都転運使として河北の防備を進言、大河東流の議には遅延策を主張し容れられた。開封知事として王安石に屈さず、青苗・免役への批判を貫いた。
  • 龍図閣直学士・知太原府として勇敢な兵を募り漢の謫戍法に倣った制度を整え、契丹の建牙雲中に対して先制ではなく理を尽くす対応を進言した。成都府・泰州・虢州・江寧府・滁州・永興軍を歴任し、元祐初、樞密直学士・知渭州で享年64で卒した。宣仁太后は「帥臣を得難い、劉庠が惜しい」と嘆いた。