宋史卷三百二十二 列傳第八十一 楊繪
楊繪(字元素)
- 綿竹の人。進士上第、開封推官として明快な処断で知られ、仁宗にその才を愛されたが年少ゆえ用いられなかった。母の老いで知眉州を求め、興元府では盗の摘発に卓越した。
- 神宗即位後、脩起居注・知制誥・知諫院として王中正・李舜挙の陝西派遣に反対、曾公亮の子への官職斡旋を批判した。滕甫を通じ帝の信頼を得ながらも、しばしば辞職の意を示した。
- 御史中丞として安石の新法を批判し、老臣(范鎮・呂誨・欧陽脩・富弼・司馬光・王陶ら)の引退の意義を説き、春秋を科挙に用いるよう建言した。免役法に十害を挙げ争ったが、侍読学士として知亳州に出された。
- 応天府・杭州・翰林学士を歴任し、孔子帝号加封や遼暦の改正に意見を述べた。属吏王永年の私通饋賂事件に連座して荊南節度副使に貶されたが、元祐初に天章閣待制・知杭州に復し、享年62で卒した。范祖禹に重んじられ、文集80巻を残した。