宋史卷三百二十一 列傳第八十 孫洙
孫洙(字巨源)
- 広陵の人。幼くして文才を発揮し、包拯・歐陽脩・呉奎に挙げられ制科に応じ、韓琦から「今の賈誼」と称された。
- 集賢校理・知太常礼院を歴任し、治平中の求言で十七の時弊を上疏、多くが施行された。史館検討・同知諫院を兼ね、王安石が新法で諫官・御史を逐うことを憂いつつも直接には言わず、補外を求めて知海州となった。
- 免役法の緡銭加歛に反対し、旱害に伴う漕渠開削の労役を三度上奏して中止させた。三班院を幹当し、三班員の功罪不明を八事について革めた。知制誥として遷叙の詞の一律化の弊を正し、封贈蔭補の制度を改めた。
- 澶州の河平を記念する霊津廟の碑文が神宗の奨めを受け翰林学士に擢されたが、就任の月に病を得た。享年49で卒し、賻として銭50万を賜った。博聞強識で典故に明るく、西漢の風のある文章を残した。