宋史卷三百二十 列傳第七十九 彭思永
彭思永(字季長)
- 廬陵の人。進士に登第し、知南海・分寧県、通判睦州・台州(大水に際して城を築き直し民を救済)、知潮州・常州を歴任した。
- 侍御史として内降による官賞の弊(斜封)を論じた。皇祐の明堂祭祀に際し「百姓皆進秩」の噂に濫恩を戒め、張堯佐・王守忠への恩寵に反対する疏を独り上奏し、外戚・宦侍の専権を非とした。帝は怒ったが中丞郭勧・諫官呉奎の弁護で司封員外郎に転じた。
- 湖北転運使として下渓蛮彭仕羲の乱を鎮め、益州路転運使として成都府の官銭窃盗事件を速やかに処断した。天章閣待制・河北都転運使として麻桑の課税制度を改めた。
- 治平中、御史中丞として濮王の「称親」論に反対する疏を上げ、「濮王は伯であり、仁宗こそ皇考である」との大義を説いた。神宗の即位後、蔣之奇が歐陽脩の陰事を糾弾した件に連座を疑われて出知黄州・太平州となり、熙寧三年、戸部侍郎で致仕、享年71で卒した。
- 若い頃拾った金釵の持ち主を待って返した逸話、および数珠を落とした同行者に「数は変わらぬ」と言って咎めなかった逸話が伝わる。