宋史卷三百三 列傳第六十二 黄震

黄震

  • 字は伯起。建州浦城の人。進士に及第し著作佐郎に累遷、遂州通判となった。両川の軍士に緡銭を給する詔が西川にのみ届き東川に届かなかった際、軍士が変を謀ろうとしたのを震は「朝廷が東川を忘れるはずがない、おそらく詔書が遅延しているだけだ」と主管者に述べ、開州の帑(財庫)から西川同様の銭を出させると翌日詔が到着し軍士は鎮まった。
  • 尚書都官員外郎に累遷し湖北路刑獄を提点、三司磨勘司判に還任、江淮發運使に擢された。これに先立ち李溥が三司の小吏から發運使となり十余年姦贓が甚だしかったが、丁謂がこれを庇護し敢えて言う者がなかった。震は赴任前に上書し自陳(自分の考えを述べる)した言葉が激越で、真宗はその意図が溥にあると察し「卿は人と和すべき」と諭したが、震は「亷正公忠は臣の職分、陛下の任用に背く者に臣は和することができない」と対え、赴任後に溥の姦贓数十件を摘発した。溥は坐して廃されたが、震も溥を訟えたことで官一等を奪われ罷免され、謂の権勢を畏れ自らの正当性を主張できなかったが、謂が貶されると官に復し饒州知州、廣東轉運使に徙った。廣南では毎年珍しい花数千本が上供され都に着く頃には十のうち八九が枯死していたが、道中の煩擾を苦とする声を受け震はこれを奏罷した。震は真宗朝でしばしば事を論じ、卒した際に官一等を追贈された。