宋史卷三百三 列傳第六十二 張述

張述

  • 字は紹明。遂州小溪の人。進士に挙げられ咸陽縣主簿となり、大理寺丞に改められ太常博士に遷った。皇祐中、仁宗にいまだ嗣がなかった際、述は上書し「生民の命は宗廟社稷にかかり継嗣がその本である。匹夫でも百金の財産があれば謀って後事を託すのに、まして天下を有する者はなおさらである。陛下は三聖の業を承け千万年に伝えるのが孝であるが、宗廟社稷がまだ託されていないことに私は夙夜彷徨し陛下のために憂えている。宗親の中で才ある賢者を慎重に選び礼秩を異にし職務を試させ、内外に聖心の所属を知らしめれば天下の大幸となろう」と述べた。
  • 至和元年にはさらに上疏し「臣は明兩作離(易の離卦の重なり)は大人が明をもって四方を照らすことと聞いている。離は太陽であり君の象である。二つの明が相継ぐことでこそ久しく照らせる、東に昇り西に沈み昼夜の運行は数の常である。陛下が天下を治めて三紀(三十六年)にもなり、これは日の正中にあたる時であるのに継照(後継)への配慮を聞かない、臣は密かに疑っている。歴代を見るに、宮闈から出た者、閽寺(宦官)が謀を起こした者、姦臣がまず利幼主専政を議し後宮を借りて権を盗んだ者、安危の機は瞬時に発する。朝議が恬然としてこれを計らないことを臣は拳々として陛下に申し上げる」と述べた。述は前後七度上疏し最後の語は特に激しいものだったが、仁宗はついに罪としなかった。述は慷慨にして事を論じることを好み、延州通判・泗州知州を歴任し治績があった。尚書職方員外郎として江浙・荊湖・福建・廣南路の坑冶・鐵錢事の提点として、萬州に至る道中で病没した。