齊廓
- 字は公闢。越州會稽の人。進士に及第し梧州推官から太常博士・審刑詳議官知に累遷、通泰州知州、荊湖南路刑獄を提点した。潭州で拘留された囚七人が強盗として死罪に問われようとした際、廓が調べ強盗でないと知ると州に付してその罪を正させ全員を死罪から免じた。
- 平陽縣は馬氏(楚国)の時代から民の丁銭として毎年銀三万八千両を課しており、民は子が壮年になっても髪を束ねられなかったが、廓はこれを蠲除するよう奏した。三司度支・開封府判官を歴任、江淮西南轉運使に出た際、初めて按察を兼ねる時期にあたり同時期の使者たちは苛刻を競い名声を求めたが、廓のみは平時通りに奉法し、人はこれを長厚と評した。
- 鹽鐵勾院判に入り史館を加え荊南府知府、明州・舒州・湖州の三州を歴任、光禄卿に累進し祕閣直で疾により分司南京、祕書監に改められ卒した。廓は寛柔恭謹で人に犯されても争わなかった。弟の唐は吉州司理參軍で博覧強記であり賢良方正科の対策で及第した。越州の蔣堂が「廓と唐の父母が老いて田舎に住んでいるのに二子は放置して官についており、唐はさらに久しく帰省しない」と奏したことで、唐は帰郷し親を養うよう命じられた。廓は湖南使の任にあり不問とされたが、士論はこれを軽んじた。