宋史卷三百一 列傳第六十 張擇行
張擇行
- 字は行先。青州益都の人。進士から出仕し北海・臨沂の主簿、宣州観察推官を経て大理寺丞となった。かつて石亭縣掾として将陵の塞が決河した際、多くの者が舟に乗って渡ろうとする中、擇行だけは不可とし人々に臆病と笑われたが、舟は果たして覆没した。擇行は堤上に留まり士卒を指揮して埽(堤防材)を作らせ結局は決壊しなかった。
- 監察御史・殿中侍御史に除され、言事御史に改められ、唐介・包拯と共に張堯佐の節度宣撫両使への任命は不当と論じた。また河北の兵が多く財が不足していることを論じ、内地に兵を分けて食を得させるよう願ったが用いられなかった。侍御史知雜事に遷り、天章閣待制・知諫院に擢され、吏部員外郎に累進した。
- 諸御史が宰相陳執中の嬖妾が小婢を鞭打ち死なせたことを言上した際、擇行は「主人の命により妾が婢を打った場合、律ではその罪に問わない」とし、御史が固く迫ったことで卒中となり言葉を発せなくなった。戸部郎中・集賢殿修撰に除され、兖州仙源縣景靈宮を提挙し、一年余りで卒した。