宋史卷三百 列傳第五十九 杜𣏌
蛮族討伐の功罪
- 杜𣏌、字は偉長。父鎬の蔭により起家、建陽県知事として間引き禁止を五保の連座制で徹底。横州知事として嶺南諸郡の城郭・軍備不足を指摘。真州通判、京西転運按察使として盗賊平定。
- 広西路転運按察安撫使として区希範・蒙趕の反乱を鎮圧、投降者にも及ばず「窮して降った賊は恩威なければ従わない」として七十余人を殺害し、区希範の屍を醢(塩漬け)にして諸蛮に示した。梅摯にこの処置を降伏者への背信と弾劾された。
- 環慶路経略安撫使知慶州として、殺降の責任を自ら負う姿勢を示す。強記博覧で陰陽数術に通じ、自らの死期を予言した通り没した。奏議十二巻。兄植・弟樞も官途にあり、樞は張彦方事件の処理を巡り権倖に憎まれ左遷された。