宋史卷二百九十八 列傳第五十七 嵇穎

父の陰徳と自身の官歴

  • 嵇穎、字は公実。応天宋城の人。父の嵇適が石首主簿として、父子連座の重罪事件で父を法により処断し子を助けた際、「主簿は仁人であり、その子孫はきっと栄えるだろう」との評判が立ち、翌年穎が生まれた。
  • 天聖年間に進士及第、蔡州団練判官。王曽に従い青州・天雄軍で従事を務め、太子中允・集賢校理、開封府推官、三司度支判官、起居注を経て知制誥、兵部員外郎を経て翰林学士に任ぜられるも謝恩前に没した。誥勅・襲衣・金帯・鞍勒馬を賜った。謹厚篤学で知られ、張堯封(脩媛(後の張貴妃)の父)が学んだ縁で、堯封の弟が編集の依頼をしたが穎は応じなかった。