宋史卷二百九十六 列傳第五十五 韓丕

経歴

  • 韓丕は字を太簡といい、華州鄭の人。父の韓杲は後晋の開運年間、曲陽主簿として契丹の攻城に落命。母は他氏に再嫁し、丕は幼くして孤独貧困の中でも志操を持ち、驪山・嵩陽で読書し『周易』『礼記』に通じた。
  • 開宝年間、鄭牧が文州知事の頃随行し両川を遊歴、鄭牧が成都知事になると劉熙古に門下に迎えられ孫娘を娶わせられた。太平興国三年(978年)進士に及第し、公卿の推薦を多く受けた。孟母碑・返魯頌の著作で称賛を得た。
  • 大理評事・衡州通判、石熙載の推薦で著作佐郎・直史館に抜擢され緋魚を賜り、左拾遺を経て職方員外郎・知制誥、雍熙年間に虞部郎中を加えた。賈黄中・徐鉉と共に知貢挙となったが、思考が遅く典書の遅延で宰相宋琪の督責を受け、王祐にも侮られたため外郡を求めて虢州知事に出た。
  • 職方郎中、端拱初に右諫議大夫・金紫を賜り河陽・濠州知事。寒素の出でありながら冲淡を旨とし名宦を求めなかったため太宗に重んじられた。淳化二年(991年)翰林学士に召されたが遅鈍とされ、集賢殿修撰・均州知事に落とされ、給事中・工部侍郎、金州知事、史館修撰、滁州知事、礼部を経て大中祥符二年(1009年)卒去。
  • 鈍厚で畏慎に見えたが、清介な吏事によって長者と称された。