宋史卷二百九十四 列傳第五十三 張錫

経歴

  • 張錫は字を貺之といい、先祖は京兆の人で曾祖張山甫は唐僖宗の蜀行幸に従い、蜀平定後に漢陽に移住。進士甲科で秘書省校書郎試・南昌県知事、著作郎・新州知事(州学を初めて建立)、太常博士・染院監を歴任。
  • 東明県知事として赴任した際、部下に「私が治めるべきは、力に恃む者、富に恃む者、贖罪金に恃む者の三種だ」と告げ、その年のうちに治績を挙げ、李及の推薦で監察御史。丁謂の崖州流謫が内地に近い雷州に留まったことに対し「姦邪が国を弄んだ罪は天下と共に棄てるべき、還すことは天下の意に反する」と疏し、雷州に留められた。
  • 玉清昭応宮の火災で多数が連座した際、「天災でまた人を罰すれば天怒を重ねる恐れがある」と諫めて多くが赦された。殿中侍御史・三司塩鉄判官権知、荊湖北路転運使・尚書兵部員外郎・度支勾院判・京東転運使を歴任。淄青斉濮鄆の州民が河壖の地を冒耕して訴訟が絶えなかったのを、租絹の徴収を制度化して収める形で解決。
  • 塩鉄勾院判・河北転運使・江淮制置発運使・侍御史知雑事・大理寺判・諫院知院権・利夔路安撫使を歴任、度支塩鉄副使を経て母の喪に服し起復、天章閣待制・河中府知事。右司郎中・龍図閣直学士・滑州知事・右諫議大夫・審官院知院・翰林侍読学士・太常寺国子監判を歴任し卒去。尚書工部侍郎を追贈。
  • 淳重清約で、貴顕となっても貧賤の頃と変わらぬ生活を続け、老いてなお読書に励んだ。若い頃の考官任随に一位と評された恩を忘れず、任随の死後は無子の遺族をしばしば救済した。