経歴
- 掌禹錫は字を唐卿といい、許州郾城の人。進士に及第し道州司理参軍、身言書判考試で第一位。大理寺丞・尚書屯田員外郎・并州通判を経て廬州知事に抜擢される直前、丁度の推薦で侍御史となった。
- 西羌への軍事対応を巡り、周宣王の「薄伐」を範とすべきで漢武帝の遠征は失策とする上疏を送り、歩卒を増やし騎兵を減らす策を建議した。辺吏の推薦連座制(贓罪連座)を廃し、士節を兼ね責める制度に改めるよう建言し、採用された。
- 河東刑獄提点、杜衍の推薦で集賢校理、直集賢院・崇文院検討を兼ね、三司度支判官・国子監・司農太常寺を歴任。開封国学の進士試験で難解な出題をすることで知られた。
- 光禄卿・直秘閣を経て、英宗即位後に太子賔客に転じたが、御史から老病を理由に弾劾された際、帝はその博学を惜しみ、彈文を示させただけで工部侍郎として致仕させた。
- 皇祐年間の『方域図志』『地理新書』編纂に参与し、王洙にその考証の功を推賞された。『校正類篇』『神農本草』の図経編纂にも関わった。占術を好み、自ら生年月日から卦を推算する遊びをした。著書に『郡国手鑑』一巻、『周易集解』十巻。蔵書を多く集めたが要点を捉えることは苦手で、駑馬に乗り身なりを構わず、しばしば僚属に侮られた逸話が残る。