出自と経歴
- 王晉卿、河朔の人。少くして勇敢で郷里に推された。後周世宗が澶淵にあった頃、晉卿は武芸により謁見を求め帳下に隷し、即位に及び東頭供奉官に補せられ、高平の戦・淮甸征討に従い、しばしば宣伝密旨を遣わされ甚だ親信された。北征では先鋒都監として督戦し功があり、詔により控鶴都虞候を権し、関南を克って軍器庫使を授けられた。顕徳四(957)年、龍捷右第一軍都指揮使となり彭州刺史を領す。恭帝即位により濱州刺史に出て、乾徳中、興州刺史となり、四(966)年、漢州に移る。蜀が初めて平定された頃、寇盗が充斥する中、晉卿は武備を厳にし方略を設けて禽捕剪滅し余すところなく、これより劇賊も敢えてその境を窺わなかった。しかし賄賂に聞こえがあり、太祖はその才を惜しみ問わなかった。
- 秩満で帰闕し、病により頤養を求め左監門衛将軍に改め奉朝請となる。重錦十匹・銀千両を貢して謝しようとしたが、太祖は詔で納めず、その財貨への貪りを恥じたためであった。まもなく北辺の戍防を詔され疆場は清粛であった。開宝四(971)年、再び莫州刺史を授けられ、郡に在ること斥候を謹み士卒を善く撫循し民は楽しんでこれに従い辺民は安堵した。六(973)年八月、六十七歳で卒した。