宋史卷二百七十一 列傳第三十 周廣
出自と経歴
- 周廣、字は大均、その先は応州神武川の人。父の密は後晋に仕え鄜延・晋三鎮節度使を歴任、後周広順初年、太子太師に至って致仕した。廣は幼くして父に従い牙校となり、後漢初、供奉官に授けられ、まもなく左千牛衛将軍に抜擢された。後周太祖が慕容彦超を兖州で討つ際、廣を行営都監とし、賊平定後は功を録して右武衛将軍に遷り、まもなく右神武将軍に改め鎮淮軍兵馬都監を充てた。世宗の淮南征討に従い江北数州を得た後、廣に民を安集させると命じられ民はその徳を慕った。常州刺史を領し内外馬歩軍都軍頭を兼ね、淮南平定後は眉州刺史に改める。
- 宋初、隰州刺史を授けられ、乾徳三(965)年、潘州団練使に遷り雄武諸営の訓練を命じられる。開宝二(969)年、太原征討に従い攻城楼櫓戦櫂都部署となり、師が還ると内外馬歩軍副都軍頭を加えられ、六(973)年、右屯衛大将軍に改め郡は元のまま領し、太平興国二(977)年、卒した。