宋史卷二百七十一 列傳第三十 蔡審廷

出自と経歴

  • 蔡審廷、磁州武安の人。曽祖の凝は邢州別駕、祖の綰は武安冶三使、父の顒は洺州長史。審廷は少くして騎射をよくし、後晋初、募に応じ護聖散都頭に補せられ、後周顕徳初年、殿前散員に抜擢され鉄騎副兵馬使に転じ、世宗の高平の戦に従い功があり軍使に遷る。太祖が殿前都点検であった頃、世宗の淮南征討に随行し紫金山の戦いに預かり副指揮使に改められた。宋初、殿前散都頭指揮使を授けられ、李筠征討で澤州を攻めた際、先登を務め飛石で足を傷つけられ、帝は良薬・美酒を賜り、車駕還京の際も官署に幸して見舞い賞賚を厚くした。まもなく内殿直都虞候に転じ伴飯都指揮使に改める。建隆中、富州刺史を領し内外馬歩軍副都軍頭を兼ね、乾徳初年、冀州刺史を授けられる。太原征討では北面歩軍都指揮使として易州に屯兵し、士卒の訓練が整い、太祖は鎮陽を過ぎる際にこれを行在で見て名馬・宝剣を賜り鎮州兵馬都鈐轄とした。開宝八(975)年、六十九歳で卒した。