宋史卷二百七十一 列傳第三十 杜漢徽

出自と経歴

  • 杜漢徽、京兆長安の人。父の阿孫は太原威勝軍使。漢徽は膂力があり騎射をよくし、十七歳で後唐武皇に仕え庁直隊長となり、天成中、護聖軍使に累遷。後晋天福六(941)年、慕容鄴らとともに安州の李金全を討ち指揮使孫厚を生け捕り功により興順指揮使に遷る。八(943)年、鎮州の安重栄征討に従い護聖指揮使に改め、父の阿孫を左賛善大夫に贈られる。開運二(945)年、所部で深州を戍り契丹を楽寿で破り殺獲甚だ衆かった。後漢初、高行周に従い杜重威を鄴で討ち、しばしば流矢に中りながら重傷を負いながら力戦し観る者を壮とさせた。また所部を率い鎮州を戍り契丹を霊寿で破り車馬を多く獲た。
  • 後周世宗の劉崇征討に漢徽は戦功があり龍捷左第五軍都虞候に補せられ、所部を安平県に屯し契丹を県南で破り器甲車帳を獲て本軍左第四軍都虞候に遷る。宋初、本軍都校に補せられ茂州刺史を領し、潮州に改領、李筠平定・李重進平定に従い功を録すること多かった。建隆三(962)年、天長軍使に出て雄武軍使に移り屯田事を知る。この冬、病を患い符印を通判の宋鸞に授け告を請い京に帰った。家人は医薬を求めるよう勧めたが、漢徽は笑って「我は戎行に在ること四十年、大小百余戦、死なずに済んだのは幸いだ。今さら薬など何になろう」と言い、まもなく卒した。