宋史卷二百六十一 列傳第二十 陳承昭
出自と生涯
- 江表(江南)の人。はじめ李景(南唐)に仕えて保義軍節度となった。
- 周世宗の淮南征討に際し、濠泗楚海水陸都應援使として泗州の周軍に対抗したが、淮上の戦いで太祖(趙匡胤)に自ら生擒された。世宗はこれを釈放し右監門衛上將軍を授け、のち右領軍衛上將軍として西京に分司した。
- 宋初に入朝すると、太祖は承昭が水利に通じることを知り、恵民河・五丈二河の開削による漕運整備を命じた。建隆二年(961年CE)、河が完成し銭三十万を賜った。
- 建隆四年(963年CE)、畿内の河堤修築を督し、また朱明門外に軍子弟の水戦訓練用の池を掘らせた。太原征討に従い、汾水を壅ぎ城を水攻めにする策を献じたが、班師により実現しなかった。
- 乾徳五年(967年CE)右龍武軍統軍に遷り、開寶二年(969年CE)卒、享年七十四。太子太師を贈られた。大中祥符元年(1008年CE)、孫の宗義を三班借職に録した。