袁繼忠
- 袁継忠はその先祖が振武の人で後に并州に移った。父進は後周で階州防禦使。父の任で右班殿直を補し、太祖の澤潞・并汾討伐に従軍、乾徳中蜀征伐で劉廷讓の麾下に属し、知雲安軍・嘉蜀二州監軍を歴任。
- 開宝中の嶺南征伐で先鋒壕砦、河東拒命の討伐で三砦を破り将校二人を捕獲、部下将官の失策を庇い獲得物を分け与えた逸話が伝わる。太宗即位で閤門祗候、梅山洞の賊平定、太原征伐で鷹揚軍の先登。
- 契丹の代州侵入を撃退し通事舎人に遷り、崔彦進と共に長城口で契丹を大破。功を誇るよう勧められても答えなかった。趙保忠の降伏に伴う李克憲の説得を成功させ、田仁朗と共に西夏諸州を平定した。
- 雍熙三年、田重進の契丹征伐で定州路行営馬歩軍都監として飛狐を攻略、蔚州を平げ大鵬翼を捕獲。降卒の助命を進言し救った。李継隆の静塞騎兵の扱いを巡る進言(城中に妻子を置くべきでないとの警告、後に的中)や、契丹の唐河侵攻での積極出撃論など、的確な軍事判断で知られた。
- 淳化初め引進使、淳化三年病を得て召還され五十五歳で卒した。長厚忠謹な人柄で賜与を全て士卒に分け与え、死の日に家に余財がなかった。子の用成は雍熙初め進士に及第し太常博士に至った。