宋史卷二百五十七 列傳第十六 楚昭輔
出自と経歴
- 楚昭輔は字を拱辰といい、宋州宋城の人。若くして華帥劉詞に仕え、詞卒後は太祖の麾下に入り才幹を認められた。陳橋の師還の際、昭憲太后を安んじる使者となった。
- 宋初、軍器庫使として太祖の澤潞・淮揚親征に京城巡検として従い、建隆四年権知揚州として江表からの財貨の勘定を的確に行った。開宝四年、左驍衛大将軍・権判三司となり、六年樞密副使、九年権宣徽南院事、太平興国初め樞密使を拝した。
- 太平興国三年検校太傅、太原征伐に検校太尉を加えられたが、足疾により邸宅の拡張を辞退し、白金万両を賜って別に邸を購入した。石熙載に代わられてもなお解職を求めず、郊祀後に驍騎衛上将軍として罷免され、六十九歳で卒し侍中を追贈された。
- 性は勤介で私を以て干せず、しかし吝嗇でもあり賜与を蓄えて「後日献上する」と語った逸話が伝わる。若い頃、占い師劉悟に「貴人(太祖)に仕えよ」と予言された話が伝わる。咸平三年、兄の子吉が供奉官、大中祥符八年従孫の鼎が右班殿直に録された。