宋史卷二百五十四 列傳第十三 薛懐讓

生涯

  • 先祖は戎人、太原に移住。後唐荘宗の麾下から歴任し明宗時代神武右廂都校・奨州刺史。東川董璋の下、晉祖の討賊に従軍、絳州刺史、清泰初年申州に移り北辺への赴任を願うも許されず。後晉天福中范延光の鄴叛乱討伐で招收使、流矢を受け薬湯を賜った。沂・遼・密・懐四州刺史を歴任したが善政少なく誅斂に走った。楊光遠の青州反乱討伐で行營先鋒都指揮使、宿州團練使に進む。
  • 契丹の南侵で少帝の澶州行幸に随行し洺州團練使、符彥卿の契丹討伐で馬軍左廂排陣使、杜重威の中渡橋降伏に不本意ながら従軍。契丹の麻答が鎮州を守った際、懐讓は漢祖挙義を聞き契丹の督運吏を殺して漢に帰順、郭從義と邢州攻略を試みるも失敗、契丹の反撃を受けて退いた末、麻答敗走を機に邢州の劉鐸を策謀で誅殺し城を奪い、漢祖より安國軍節度を授かった。隠帝の同州移鎮を経て楊邠誅殺の政変時に周祖側に降伏、周祖より襲衣・金帯・鞍勒馬を賜り同平章事。
  • 劉崇入寇時、西征を願い許された。夏陽の富人張廷徽が趙隱ら五人を誣告した事件で懐讓の子有光への賄賂により冤罪の処刑を許した悪政があり、家族が朝廷に訴えたため懐讓は献金で揉み消しを図ったが受理されず、有司の逮捕請求も周祖は宿将を理由に不問とし、掌書記李炳らのみ処罰した。左屯衛上將軍、世宗即位で左武衛上將軍、顯徳五年致仕拝太子太師、恭帝即位で杞國公封、建隆元年年六十九で卒し侍中を追贈。懐讓は馬駝の飼育を好み、隠帝の求めにも献じないほど惜しみ、致仕後も百匹の馬と三十頭の駱駝を私財で養った。死に際し家人・童僕が黥面して哭した逸話が残る。