宋史卷一百四十七 儀衞志第一百 儀衞五(紹興鹵簿 皇太后皇后鹵簿 皇太子鹵簿妃附 王公以下鹵簿)

紹興鹵簿

以下、本則(紹興の制)に続けて( )内は孝宗朝における人数の削減を注記する。

  • 宋初の大駕は11222人を用いたが、宣和年間には20061人に増やした。建炎初年に裁定して1335人とし、紹興初年は宋初の数を用い、16年(1146年)以後は15050人を用いた。明堂では3分の1を省いて10015人を用いた。孝宗は6889人を用い、明堂では3319人を用い、以後はいずれも孝宗の数を用いた。
  • 象は紹興では6頭・副象1頭を用いる(乾道は象1頭、淳熙は象6頭で副を設けない。紹熙は乾道に同じ、慶元以後は設けない)。
  • 六引の第一引は清道2人(孝宗はこれを省く)、幰弩1人騎乗、方繖1、雑花扇2、曲盖1、外仗は青衣2人、車輻棒2、告止・傳教・信幡各2、戟10。第二引は清道2人(孝宗省く)、幰弩1人騎乗、皷1、鉦1、大皷10、節1、矟2はいずれも騎乗、方繖1、雑花扇4(孝宗は2に省く)、曲盖1、幢1、麾1はいずれも騎乗、大角4、鐃1、簫2、笳2、横吹2、笛1、簫1、觱栗1、笳1、外仗は青衣4人(孝宗2に省く)、車輻棒4(孝宗2に省く)、告止・傳教・信幡各2、儀刀10、戟20、弓矢20(孝宗はいずれも16に省く)、刀盾20、矟20(孝宗はいずれも省く)。第三から第六引はいずれも第二引と同じで、内、花扇・大角各2、青衣2人(孝宗朝は第三第四第五第六引の内、大角を2に省くが他は第二引の省いた数と同じ)。
  • 金吾纛矟隊。纛12(孝宗6に省く)、押纛2人(孝宗1に省く)、押衙4人(孝宗2に省く)、上将軍4人、将軍4人(孝宗省く)、大将軍2人(孝宗1に省く)、犦矟12いずれも騎乗(孝宗8に省く)。
  • 朱雀隊。朱雀旗1、犦矟2、弩4、隊の前後を引押するのはいずれも天武都指揮使1人が騎乗。龍旗隊。引旗1、風師・雨師・雷旗・電旗各1、五星旗5、攝提旗2、北斗旗1、護旗1、左右衛大将軍1人。金吾引駕騎は神勇都指揮使、次に弩・弓矢・矟各4いずれも騎乗。
  • 太常前部皷吹。皷吹令2、府史4人、管轄指揮使1人、帥兵官36人(孝宗14人に省く)、掆皷12・金鉦12(孝宗はいずれも10に省く)、大皷60(孝宗24に省く)、小皷60(孝宗30に省く)、莭皷1、鐃皷6、羽葆皷6、歌工24・拱宸管24(孝宗歌工・管をいずれも18に省く)、簫・笳各36(孝宗簫18・笳24)、長鳴60、中鳴60(孝宗いずれも18に省く)、大横吹60(孝宗24に省く)、笛12(孝宗18に増やす)、觱栗12、桃皮觱栗12。
  • 持鈒前隊。驍騎都指揮使1人、将軍1人、軍使4人いずれも騎乗、稱長1人、靈芝旗2、瑞瓜旗2、雙蓮花旗2、太平瑞木旗2、朱雀旗1、甘露旗2、嘉禾旗2、芝草旗2、絳引幡1(孝宗省く)、黄麾幡1、青龍・白虎幢各1、金莭12、䍐罼各1、义1、鈒戟50(孝宗28に省く)。
  • 六軍儀仗第一隊。軍将2・卒長2いずれも騎乗、熊虎旗2、赤豹旗2、吏兵旗・力士旗2、戈6・矛4・戟4・鉞4、白柯槍50、平列旗20は仗外に分けて旗槍を夾む。第二隊。軍将2・卒長2いずれも騎乗、龍君旗・虎君旗各3、黄熊旗4、赤豹旗2、吏兵旗・力士旗各1、戈6・矛4・戟4・鉞4、白柯槍40、平列旗20は仗外に分ける。第三隊。軍将2・卒長2いずれも騎乗、通直官2、吏兵旗・力士旗各1、熊虎旗2、龍君旗・虎君旗各1、天王旗4、十二辰旗各1、戈6・矛戟鉞各4、白柯槍30、平列旗20は仗外に分け夾む(孝宗朝は第一隊が軍将・卒長各1、龍虎旗・赤豹旗・吏兵力士旗各2、矛4・戈4・戟2・鉞2、白柯槍30、平列旗14で、他は第二隊に同じく軍将・卒長各1、龍君虎君・黄熊・赤豹旗も同じで戟6・鉞6・戈4・矛4・白柯槍20。第三隊は軍将・卒長各1、吏兵力士・熊虎・龍君虎君・天王旗も同じで十二辰旗12、通直官2、白柯槍10、平列旗12)。
  • 龍墀旗隊。天下太平旗1、排仗大将2人が夾み、五方龍旗各1(三重をなし赤を前、黄を中、黒を後、青を左、白を右とする)。次に金鸞旗1を左、金鳳旗1を右、獅子旗2、君王万歳旗1、日旗1を左、月旗1を右。御馬10匹を左右に分け五重をなす。
  • 中道隊。左右衛大将軍1人が検校し騎乗、日月合璧旗1、慶雲旗2、五星連珠旗1、祥光旗・長寿幢各1。金吾牙門第一門。牙門旗4、次に監門使臣6人が左右に分かれ騎乗(孝宗は旗を2に省き監門を3に省く)。
  • 金吾細仗。青龍旗1を左、白虎旗1を右、五嶽神旗5は前中後・左右に分け三列をなし、五方神旗5もこれに同じく配列する。五方龍旗25は相間して5隊をなし隊ごとに赤前・黄中・黒後・青左・白右とし、五方鳳旗25も相間して5隊をなし配列は同様、五嶽旗は左に五方旗は右に、五龍旗は左に五鳳旗は右に、四瀆旗は江淮を左・河済を右とし、押2人が左右に分かれて騎乗(孝宗は五龍五鳳旗をそれぞれ1隊のみとし計40旗を省くが他は同じ)。
  • 八寳輿。鎮国神寳・受命之寳を左、皇帝之寳を右、天子之寳を左、皇帝信寳を右、天子信寳を左、皇帝行寳を右、天子行寳を右で4列をなし、寳ごとに1輿・1香案があり、輿案の前に燭罩32、引寳職掌8人、侍寳官1人、内外符寳郎各2人、扈衛100人、碧欄20人が扈衛の外を夾む(孝宗は碧欄を12に省くが他は同じ)。
  • 殿中繖扇輿輦。方扇1(孝宗1減らす)、朱團扇4(孝宗2減らす)、金吾四色官6人(孝宗2に省く)、押仗2人、金甲2人が鉞を執り、進馬官4人騎乗、千牛衛大将軍1人(孝宗省く)、千牛衛将軍8人(孝宗2に省く)、金吾引駕官2人、導駕官4人いずれも騎乗、導く大繖2(孝宗2減らす)、鳳扇4(孝宗1減らす)が繖を夾んで行く(前と同じ)、腰輿1、鳳扇16が輿を夾む(孝宗4に省く)、華盖2、排列官1人、香鐙1、火燎1、小輿1、逍遥子。平輦、駕前諸班直、駕頭、鳴鞭、誕馬、燭罩330人(孝宗210人に省く)、前駆都下親從官150人(孝宗45人に省く)、東西班6人(孝宗22人に省く。約攔殿前指揮使40人)、東第三班長入祗候52人、班直主首9人(孝宗3人に省く)、茶酒新旧班106人(孝宗44人に省く)、開道旗1、纛12、鈞容直270人(駕が還れば楽を作る。孝宗は乾道元年これを省いたが乾道6年以後再び用いた)、吉利旗5、五方龍旗5、龍旗20(孝宗省く)、門旗60(孝宗20に省く)。
  • 殿前指揮使が引駕骨朶子直40人(左右に分け門旗の外を夾む)を務め、駕頭門の駕頭下天武官22人(孝宗17人に省く)、都下親從16人(孝宗8人に省く)、茶酒班執従物殿侍22人、また都下親從22人(孝宗17人に省く)、劔6人(孝宗3人に省く)、麋旗1、人員1(孝宗省く)、殿前指揮使行門22人、鳴鞭12人(孝宗14人に増やす)。次に御龍直120人(孝宗86人に省く)、快行50人、日月麟鳳旗各1、青龍白龍赤龍黒龍旗4、人員2、引駕千牛上将軍1人。玉輅は奉宸隊を左右に分け禁衛の圍子8重を充て、崇政殿親從の圍子200人を第一重(裏から数える)、御龍直250人を第二重、崇政殿親從外圍子250人を第三重、御龍直骨朶子直250人を第四重、御龍弓箭直250人を第五重、御龍弩直250人を第六重、禁衛天武250人を第七重、都下親從圍子300人を第八重とする(孝宗も以上は同じ)。天武約攔200人(孝宗188人に省く)が禁衛圍子の外にあり、編排禁衛行子21人、快行59人(孝宗42人に省く)が管押相視御龍四直8人(孝宗4人に省く)とともに行子御龍四直24人(孝宗8人に省く)・天武6人(孝宗省く)を照管し、禁衛の内攔前崇政殿親從32人(孝宗25人に省く)。
  • 駕後部。扇筤大黄龍旗1、駕後楽の東西班36人、鈞容直31人いずれも騎乗(孝宗はこの下に招箭班34人を増やす)、扇筤下天武22人(孝宗17人に省く)、都下親從16人(孝宗8人に省く)、茶酒班執従物50人騎乗(孝宗30人に省く)、大輦輦下応奉及び人員あわせて614人を5番に分ける(孝宗は乾道元年これを省いたが6年以後復した)。御馬10匹を五重とする。持鈒後隊。神勇都指揮使2人騎乗、重輪旗2人、大繖2(孝宗1に省く)、朱團扇8(孝宗4に省く)、鳳扇2、小雉扇22(孝宗は鳳扇を省き雉扇を6に減らす)、華盖2(孝宗1に省く)、睥睨12(孝宗6に省く)、御刀6、玄武幢1、絳麾2、义、細矟12(孝宗6に省く)、驍騎都指揮使1人騎乗(大角を総領する)、大角40(孝宗20に省く)。太常後部皷吹。皷吹丞2人、典吏4人(孝宗3人に省く)、管轄指揮使1人、羽葆皷6、歌工24、拱宸管12、簫36、笳24、鐃鼓6、小横吹60、笛12、觱栗12、帥兵官10人(孝宗歌工18・拱宸管12・簫18・笳24・鐃鼓6・笛18・莭皷1・小横吹30・觱栗18・桃皮觱栗12、羽葆皷吹6、帥兵官8人)。
  • 黄麾幡1(中道)。金輅・象輅・革輅・木輅各1、輅ごとに誕馬各6を輅前に置き駕士各154人(乾道元年これを省いたが6年以後復用)。掩後隊(中道)。宣武都指揮使2人、大戟・刀盾・弓矢・矟各15。金吾衙門第二門(中道)。牙門旗4が左右に分かれる(孝宗はこれを省く)、監門使臣6人が左右に分かれ騎乗(孝宗3に省く)。玄武隊(いずれも騎乗、中道)。虎翼都指揮使1人、犦矟2、玄武旗1、矟・弓矢各10(孝宗はいずれも5に省く)、弩5。
  • 外仗(左右道に分けて中道の儀仗を夾む)。清游隊いずれも騎乗。白澤旗2、捧日指揮使2人、弩4・弓矢10・矟16。左右金吾16騎、天武都頭2人、弩8・弓矢12・矟12(孝宗弩・弓矢・矟をいずれも6に省く)。佽飛隊いずれも騎乗。拱聖指揮使2人、虞候佽飛20人、鐵甲佽飛12人。前隊殳仗。都頭6人騎乗、殳义60。後隊殳仗。都頭4人騎乗、殳义40。
  • 前部馬隊。第一隊は捧日都指揮使2人、角・斗・亢・牛旗各1、弩4・弓矢10・矟8。第二隊は捧日都指揮使2人、氐・女・房・虚旗各1、弩弓矢矟は第一隊と同じ。第三隊は天武都指揮使2人、心・危旗各1、弩弓矢は第二隊と同じ。第四隊は天武都指揮使2人、尾・室旗各1、弓矢矟は第三隊と同じ。第五隊は拱聖指揮使2人、箕・壁旗各1、弩弓矢矟は第四隊と同じ。第六隊は拱聖都指揮使2人、奎・井旗各1、弩弓矢矟は第五隊と同じ。第七隊は神勇都指揮使2人、婁・鬼旗各1、弩弓矢矟は第六隊と同じ。第八隊は神勇都指揮使2人、胃・柳旗各1、弩弓矢矟は第七隊と同じ。第九隊は驍騎都指揮使2人、昴・星旗各1、弩弓矢矟は第八隊と同じ。第十隊は宣武都指揮使2人、畢・張旗各1、弩弓矢矟は第九隊と同じ。第十一隊は虎翼都指揮使2人、觜・翼旗各1、弩弓矢矟は第十隊と同じ。第十二隊は広勇都指揮使2人、参・軫旗各1、弩弓矢矟は第十一隊と同じ(孝宗は10隊に省き、二十八宿旗を隊ごとに4、弓矢矟を隊ごとに6とするが他は同じ)。
  • 歩甲前隊。第一隊は捧日指揮使・都頭各2人騎乗(以下同様)、鶡雞旗2、青鍪甲・刀盾20(孝宗は刀盾を12に省く、以下同様)。第二隊は捧日指揮使・都頭で貔旗、朱鍪甲・刀盾。第三隊は天武指揮使・都頭で万年連理木旗、黄鍪甲・刀盾。第四隊は天武指揮使・都頭で芝禾並秀旗、白鍪甲・刀盾。第五隊は拱聖指揮使・都頭で祥鶴旗、黒鍪甲・刀盾。第六隊は拱聖指揮使・都頭で犀旗、黄鍪甲・刀盾(孝宗は黄鍪甲を青鍪甲に改めるが他は同じ)。金吾左右道牙門第一門。牙門旗4が左右に分かれ、監門使臣8人いずれも騎乗(孝宗は旗を2、使臣を4人に省く)。歩甲前隊第七隊は神武指揮使・都頭で鶡雞旗、青鍪甲・刀盾。第八隊は神武指揮使・都頭で麟旗、朱鍪甲・刀盾。第九隊は驍騎指揮使・都頭で白狼旗、黄鍪甲・刀盾。第十隊は驍騎指揮使・都頭で蒼烏旗、白鍪甲・刀盾。第十一隊は虎翼指揮使・都頭で鸚鵡旗、黒鍪甲・刀盾。第十二隊は広勇指揮使・都頭で太平旗、黄鍪甲・刀盾。第二隊から第十二隊の人・旗・刀盾の数はいずれも第一隊と同じ(孝宗は内、鶡雞旗・麟旗を除き慶雲旗・瑞麦旗を用いる)。
  • 金吾左右道牙門第二門。牙門旗4が左右に分かれ、監門使臣8人いずれも騎乗(孝宗は旗を2、監門を4人に省く)。前部黄麾仗。第一部は殿中侍御史2員騎乗(以下同様)、絳引幡20(孝宗10に省く)、犦矟2、捧日指揮使2人・都頭5人いずれも騎乗(以下同様)、黄氅50(孝宗20に省く)、皷4、斧10、戟弓矢20、矟30(孝宗20に省く)、弩10。第二部は殿中侍御史・天武指揮使・都頭で青氅・皷・斧・戟・弓矢・矟・弩。第三部は殿中御史・拱聖指揮使・都頭で緋氅・皷・斧・戟・弓矢・矟・弩(孝宗は3部に省く)。第四部は殿中御史・神勇指揮使・都頭で黄氅・皷・斧・戟・弓矢・矟・弩。第五部は殿中御史・驍騎指揮使・都頭で白氅・皷・斧・戟・弓矢・矟・弩。第六部は殿中御史・広勇指揮使・都頭で黒氅・皷・斧・戟・弓矢・矟・弩。第二部から第六部の数はいずれも初部と同じ。
  • 青龍白虎翼隊いずれも騎乗。青龍旗1、白虎旗1、虎翼都指揮使2人、弩4・弓矢10・矟8。班劔儀刀隊いずれも騎乗。武衛将軍2人、捧日・天武・拱聖・神勇指揮使各2人、班劔60、儀刀60。次に驍騎・驍勝・宣武・虎翼指揮使各2人、班劔60、儀劔60。
  • 親勲散手驍衛翊衛隊いずれも騎乗。中衛郎4人、翊衛郎2人、親衛郎2人、衛兵40、甲騎40が衛兵の外にある。左右驍衛翊衛三隊いずれも騎乗。第一隊は左右驍衛大将軍2人、双蓮花旗2、弩4・弓矢10(孝宗は弓矢を6に減らす、以下同様)・矟16(孝宗は矟を6に減らす、以下同様)。第二隊は広勇指揮使2人、吉利旗、弩弓矢矟の数は初隊と同じ。金吾左右道牙門第三門。牙門旗4が左右に分かれ、監門8人いずれも騎乗(孝宗は旗を2、監門を4人に省く)。捧日隊34隊、左右各17隊(孝宗は10隊に減らし左右各5隊)。隊ごとに引1人・押1人・旗3人・槍5人・弓箭20人。
  • 後部黄麾仗、凡そ6部で、第一部から第六部までいずれも前部黄麾仗と同じだが絳引幡・犦矟がない(孝宗は3部に減らし仗数も前部黄麾のすでに省いた数に依り犦矟・絳引幡を併せて除く)。絳引幡20(孝宗10に省く)。金吾左右道牙門第四門。牙門旗4、監門8人騎乗(孝宗は旗を2、監門を4人に省く)。
  • 歩甲後隊。第一隊は捧日指揮使・都頭各2人騎乗、鶡旗・鶡雞旗各2、青鍪甲・刀盾20(孝宗は刀盾を16に省く、以下同様)。第二隊は天武指揮使・都頭で芝禾並秀旗・万年連理木旗、朱鍪甲・刀盾。第三隊は拱聖指揮使・都頭で犀旗・鶴旗、黄鍪甲・刀盾。第四隊は神武指揮使・都頭で蒼烏旗・白狼旗、白鍪甲・刀盾。第五隊は驍騎指揮使・都頭で天下太平旗・鸚鵡旗、黒鍪甲・刀盾。第六隊は虎翼指揮使・都頭で鶡雞旗・鵾旗、黄鍪甲・刀盾。第二隊から第六隊の数はいずれも初隊と同じ。
  • 金吾左右道牙門第五門。牙門旗4、監門8人騎乗(孝宗は旗を2、監門を4人に省く)。後部馬隊。第一隊は捧日都指揮使2人、角□(底本欠字)旗2、弩4・弓矢10・矟16(孝宗は弓矢を6、矟を8に省く)。第二隊は捧日都指揮使(孝宗は天武に改める)で赤熊旗、弩弓矢矟。第三隊は天武都指揮使(孝宗は拱聖に改める)で兕旗、弩弓矢矟。第四隊は天武指揮使(孝宗の時は神勇に改める)で天下太平旗、弩弓矢矟。第五隊は拱聖都指揮使で犀旗(孝宗は龍馬旗を用いる)、弩弓矢矟。第六隊は拱聖都指揮使で芝禾並秀旗(孝宗は金牛旗を用いる)、弩弓矢矟。第七隊は神勇都指揮使で万年連理旗、弩弓矢矟。第八隊は神勇都指揮使で騶牙旗、弩弓矢矟。第九隊は驍騎都指揮使で蒼烏旗、弩弓矢矟。第十隊は宣武都指揮使で白狼旗、弩弓矢矟。第十一隊は虎翼都指揮使で龍馬旗、弩弓矢矟。第十二隊は広勇都指揮使で金牛旗、弩弓矢矟。第二隊から第十二隊の数はいずれも初隊と同じ。

皇太后皇后鹵簿

  • 皇太后・皇后の鹵簿はいずれも礼令のとおりであった。徽宗の政和元年(1111年)、皇后が冊を受けるにあたり黄麾仗を並べ重翟車を陳列し小駕鹵簿を用いるよう詔されたが、后が謙り避けたため延福宮で冊を受けることとし、なお小駕鹵簿は端礼門の外で黄麾仗のみとして紫宸殿での臣僚の稱賀・上礼は取りやめとし、景霊宮への朝謁は近例に依るとされた。政和3年(1113年)、議礼局が皇后鹵簿の制を上奏した。
  • 清游隊。旗1(1人が執り2人が引き2人が夾み、いずれも騎乗)、金吾衛の折衝都尉1員が騎乗(犦矟2人が夾む)、40騎を領し矟を執る者20人、弩4人、横刀16人。次に虞候佽飛38騎。次に内僕。内僕丞各1員(各書令史2人がいずれも騎乗)。次に正道の黄麾1(1人が執り2人が夾み、いずれも騎乗)。次に左右廂の黄麾仗、廂ごとに3行、行ごとに100人。第一行は短戟・五色氅、第二行は戈・五色氅、第三行は儀鍠・五色幡。左右領軍衛・左右威衛・左右武衛・左右驍衛・左右衛などがそれぞれ3行、行ごとに20人で帥兵官各6人が領する(内、左右領軍衛の帥兵官は各3人、果毅都尉各1員が検校し歩従する)。左右領軍衛の絳引旗が前引・後掩をそれぞれ6ずつ務める。
  • 次に内謁者監4人、給事・内常侍・内侍各2人いずれも騎乗(内給使各1人が歩従する)。次に内給使120人。次に偏扇・団扇・方扇各24。次に香鐙1。次に執擎内給使4人(重翟車の前)。次に重翟車、青馬6を駕し駕士24人、行障6・坐障3が車を夾み、いずれも宮人が執る。次に内寺伯2人が騎乗して寺人6人を領し左右に分かれて重翟車を夾む。次に腰輿1(輿士8人)、団雉尾扇2が輿を夾む。次に大繖4、大雉尾扇8、錦花盖2、小雉尾扇・朱畫團扇各12、錦曲盖20、錦六柱8扇(腰輿以下いずれも内給使が執る)。次に宮人車。次に絳麾2(各1人が執る)。次に正道後黄麾1(1人が執り2人が夾み、いずれも騎乗)。次に供奉宮人。次に厭翟車は赤騮を駕し、翟車は黄騮を駕し、安車は赤騮を駕しいずれも各4、駕士各24人。四望車・耕根車はそれぞれ牛3を駕し駕士各12人。
  • 次に左右廂それぞれに牙門2を置く(門ごとに2人が執り4人が夾み、1つは前の黄麾の前、1つは後の黄麾の後にある)。次に左右領軍衛、廂ごとに150人が殳を執り帥兵官4人が検校する。次に左右領軍衛の折衝都尉各1員が殳仗を検校する(各1人が騎で後ろに従う)。次に後殳仗の内、正道に牙門1を置き、門ごとに監門検校2人が騎乗、廂ごとに巡検校尉1員が騎乗して往来検校する。前後部の皷吹・金鉦・掆皷・大皷・長鳴・中鳴・鐃吹・羽葆皷吹・莭皷・御馬はいずれも大駕の半分を減らす。

皇太子鹵簿

  • 皇太子の鹵簿は、礼令では三師・詹事・率更令・家令が各々本品の鹵簿を用いて前導する。太宗の至道年間、真宗は皇太子であった際に謙抑の意を多く示したため、廟への謁見の日には東宮の鹵簿六引の官もただ車に乗るだけで儀仗を設けなかった。天禧2年(1018年)、仁宗が皇太子となった際もこの制に依った。政和3年(1113年)、議礼局が皇太子鹵簿の制を上奏した。家令・率更令・詹事は各々輅車に乗り、太保・太傅・太師も輅に乗る。それぞれ正道の威儀鹵簿は本品に依る。
  • 清游隊の旗(1人が執り2人が引き2人が夾む)はいずれも正道に。清道率府の折衝都尉1員が20騎を領し、矟を執る者18人、弓矢9人、弩3人、2人が騎で折衝に従う。次に左右清道率府率各1員が清道直盪及び清游隊の龍旗などの検校を領し、犦矟各2人を執る。次に外清道直盪24人が騎乗。次に正道の龍旗各6(1人が執り前2人が引き後2人が護る)、副竿2(各1人が執り騎乗)。次に正道の細仗が6重を引き、重ごとに2人、龍旗の後から均等に細仗まで配し、矟と弓箭を相間しいずれも騎乗、廂ごとに果毅都尉1員が領する。次に率更丞1員。次に正道前部皷吹。府史2人が皷吹を領しいずれも騎乗、掆皷・金鉦各2(各1人が執り2人が夾む、以下同様)、帥兵官2人。次に大皷36横行(長鳴以下同様)、帥兵官8人、長鳴36、帥兵官2人、鐃吹1部、鐃皷2(各1人が執り2人が夾む、後部の鐃莭皷も同様)、簫笳各6、帥兵官2人、掆皷金鉦各2、帥兵官2人。次に小皷36、帥兵官4人、中鳴36、帥兵官2人、いずれも騎乗。
  • 次に誕馬10(匹ごとに2人が控える、以下同様)、廐牧令丞各1員(各府史2人が騎で従う)。次に左右翊府郎将各1員が班劔を領し、左右翊衛が班劔24人を執り、通事舎人4人、司直2人、文学4人、洗馬・司議郎・太子舎人・中允・中舎・左右諭徳各2人、左右庶子4人いずれも騎乗(通事舎人以後は各1人が歩従する)。次に左右衛率府の副率各1員、歩従親勲翊衛。廂ごとに中郎将・郎将各1員がいずれも6行の儀刀を領し、第一行は親衛23人・曲折3人、第二行は親衛25人・曲折4人、第三行は勲衛27人・曲折5人、第四行は勲衛29人・曲折6人、第五行は翊衛31人・曲折7人、第六行は翊衛33人・曲折8人(曲折の人はいずれも門の後に配す)。以上の三衛はいずれも騎乗。
  • 次に三衛18人が騎乗し、中郎将2人が輅を夾み6行の儀刀仗内にいる。金輅は馬4を駕し僕寺僕馭・左右率府率各1員、駕士22人が輅を夾む。左右衛率府率各1員(各1人が歩従する)。次に左右内率府率各1員・副率各1員いずれも騎乗(各1人が歩従する)。次に千騎が細刀・弓矢を執り三衛儀刀仗の後に牙門を開く。次に左右監門率府直長各6人が後門を監す(いずれも騎乗)。次に左右衛率府、廂ごとに翊衛2隊(いずれも騎乗)。次に厭角隊各30人、旗を執る者2人(引2人が夾む)、矟を執る者15人、弓矢7人、弩3人、隊ごとに郎将1員が領する。
  • 次に正道の繖2、雉尾扇4が繖を夾む。次に腰輿1、輿士8人、団雉尾扇2、小方雉尾扇8(夾んで各1人が執る)。次に内直郎・令史各2人が騎で従い検校する。次に誕馬10、典乗2人、府史2人が騎で従う。次に左右司禦率府校尉各1人(いずれも騎で従う)が団扇・曲盖を領する。次に朱団扇・紫曲盖各6(各1人が執る)。次に諸司供奉官人。次に左右清道率府校尉各1人(いずれも騎乗)が大角36・鐃皷2・簫笳各6を領し、帥兵官2人、横吹10、莭皷1、笛・簫・觱栗5、帥兵官2人(いずれも騎乗)。次に管轄指揮使2人が検校する。次に副輅、馬4を駕し駕士20人、軺車は馬1を駕し駕士14人、四望車は馬1を駕し駕士10人。
  • 次に左右廂の歩隊、凡そ16隊、隊ごとに果毅都尉1人が領する(いずれも騎乗)。隊は30人、旗を執る者1人(引2人・夾2人、いずれも弓矢を帯び騎乗)、歩25人、前の1隊は矟を執り1隊は弓矢を帯び以下相間する(左右司禦率府・左右衛率府の廂は各4隊で2隊が前、2隊が後)。次に左右司禦率府の副率各1員が歩隊を検校し各2人が犦矟を執り騎で従う。次に儀仗、左右廂各6色、色ごとに9行、行ごとに6人。前の第一行は戟・赤氅、第二行は弓矢、第三行は儀鋋并毦、第四行は刀盾、第五行は儀鍠五色幡、第六行は油戟。次に前仗首、左右廂各6色、色ごとに3行、行ごとに6人、左右司禦率府各1員・果毅都尉各1員・帥兵官各6人が領する。次に左右廂各6色、色ごとに3行、行ごとに6人、左右衛率府の副率各1員・果毅都尉各1員・帥兵官各6人が領する。次に盡後鹵簿、左右廂各6色、色ごとに3行、行ごとに6人、左右司禦率府の副率各1員(各1人が歩従する)・果毅都尉各1人・帥兵官各6人が領し、左右司禦率府の率兵官各6人が後を護りいずれも騎乗。
  • 廂ごとに絳引幡12(各1人が執り前旗6を引き後旗6を引く)、掲皷12(左右司禦率府は4重、左右衛率府は2重)。次に左右廂の殳各150人(左右司禦率府各86人、左右衛率府各64人)はいずれも前後に分かれ歩隊儀仗の外の馬隊内にあり、前は六旗に接し後は鹵簿を尽くして曲折して門に至る。廂ごとに司禦率府の果毅都尉1員が検校し各1人が従い、廂ごとに帥兵官7人(いずれも騎乗、左右司禦率府各4人、左右率府各3人)。次に馬隊、左右廂各10隊、隊ごとに帥兵官以下31人、旗1(1人が執り2人が引き2人が夾む)、矟を執る者16人、弓矢7人、弩3人。前第一隊は左右清道率府の果毅都尉各1員が領する。第二第三第四隊は左右司禦率府の果毅都尉各1員が領する。第五第六第七隊は左右衛率府の果毅都尉各1員が領する。第八第九第十隊は左右司禦率府の果毅都尉各1員が領する。
  • 次に後拒隊。旗1(1人が執り2人が引き2人が夾む)、清道率府の果毅都尉1員が40騎を領し、矟を執る者20人、弓矢16人、弩4人、义2人がいずれも騎で従う。次に後拒隊の前、正道の殳仗行の内に牙門を開く。次に左右廂それぞれ牙門3を開く。前の第一門は左右司禦率府の歩隊の後、左右率府の歩隊の前。第二門は左右衛率府の歩隊の後、司禦率府の儀仗の前。第三門は左右司禦率府の儀仗の後、左右衛率府の歩隊の前(門を開くごとに旗を執る者2人・夾む者4人がいずれも騎乗)。監門率府直長各2人がいずれも騎乗。次に左右監門率府の副率各1員が騎で諸門を往来検校し各1人が騎で従う。次に左右清道率府の副率各3人が仗内を検校しあわせて紏察する各1人が騎で従う。次に少師・少傅・少保が正道に輅に乗り威儀鹵簿はそれぞれ本品に依る。次に文武官が次第に陪従する。

皇太子妃鹵簿

  • 政和3年(1113年)、議礼局が皇太子妃の鹵簿の制を上奏した。清道率府校尉6人が騎乗。次に青衣10人。次に導客舎人4人。内給使60人。偏扇・団扇・方扇各18(いずれも宮人が執る)、行障4・坐障2が車を夾む(宮人が執る)。典内2人が騎乗。厭翟車は馬3を駕し駕士14人。次に閤帥2人が内給使18人を領し車を夾み、六柱八扇は内給使が執る。次に供奉内人が犢車に乗る。次に繖1、正道の雉尾扇2、団扇4、曲盖2(繖扇はいずれも内給使各2人が執る)。次に戟90。
  • 宋制では臣子に鹵簿の名を用いないが、皇太子が立てられる際には草案の儀注が作られた。政和礼では鹵簿を創案し具えたが実施には至らなかった。南渡後、討論はしたものの、皇太子はいずれも謙って受けず、朝謁・宮廟への参拝・陪祀及び常朝はいずれも馬に乗り、ただ宮僚の導従に繖扇があるのみで圍子はなく、三接青羅の繖1・紫羅障扇4を用い、人従は指使2人・直省官2人・客司4人・親事官20人・輦官20人・翰林司4人・儀鸞司4人・厨子6人・教駿4人・背印2人・歩軍司宣効10人・歩司兵級78人・防警兵士4人で、朝位は三公の上にあり、扈従は駕の後の方圍子の内にある。
  • 皇太子妃も政和年間には鹵簿があったが、南渡後は省かれた。妃の出入りはただ襜子に乗り、三接青羅の繖1・黄紅羅障扇4を用い、人従は皇太子府の親事官を輦官に充て、前に従物・襜子を執る小殿侍1人が塗金香毬を抱えて先駆となし、教駿兵士が呵り止める。

王公以下鹵簿

  • 王公以下の鹵簿は、凡そ大駕六引には本品の鹵簿を用い、冊を奉じる使者や詔葬にはいずれもこれを給う。親王は一品の制を用い、告止幡・傳教幡・信幡を各2加える。その葬日は六引内の儀仗を用いる。真宗の咸平2年(999年)、王承衍の出葬の日には禁楽が行われていたため礼官は鹵簿・皷吹を備えて奏さないよう請い、これに従った。景徳2年(1005年)、南郊鹵簿使の王欽若は「鄆王の攅日に給された鹵簿は南郊の儀仗と吉凶が相い混じるので、令に依り別に制すべきである。王公の車輅が持つべき皷吹儀仗は増置し、拝官・朝会・婚葬の用に備えるべき」と述べ、これに従った。これによって儀服はことごとくこれに殉じ、その葬日には道中で革車を輅に代えることとなった。
  • 徽宗の政和3年(1113年)、議礼局が王公鹵簿の制を上奏した。中道の清道6人。次に幰弩1騎。次に大晟府前部皷吹令及び職掌・局長・院官各1人、掆皷・金鉦各1、大皷・長鳴各18、掆皷・金鉦各1。次に引楽官2人、小皷・中鳴各10。次に麾・幢各1、莭1が矟2を夾む、誕馬8(匹ごとに控馬各2人)。次に革車1乗、赤馬4を駕し駕士25人。次に散扇10、方繖2、朱団扇4が方繖を夾む、曲盖各2。次に大角8。次に後部皷吹丞1員、録事1人。次に鐃皷1、簫4、笳4、大横吹6、莭皷1(夾色2)、笛・簫・觱栗・笳各4。次に外仗は青衣12、車輻棒12、戟90、絳引幡6、刀盾・矟・弓矢各80、儀刀18、信幡8、告止幡・傳教幡各4、儀鋋2、儀鍠斧挂五色幡6、油戟18、儀矟12、細矟12。次に左右衛尉寺の押当職掌11人が騎乗し部轄歩兵を、部轄騎兵は太僕寺の部押人員各1人・教馬官各1人・押当職掌4人がいずれも騎乗する。
  • 公主の鹵簿は葬日にのみ給する。秦国成聖繼明夫人の葬日にもこれを給した。外命婦は一品の鹵簿を用いるが、それ以外には用いない。
  • 一品の鹵簿(命婦も同じ)。中道の清道4人、幰弩1騎、大晟府前部皷吹令・職掌1人、局長・院官各1人、掆皷・金鉦各1、大皷・長鳴各16、麾幢・莭各1、矟2、誕馬6。次に革車1乗、赤馬4を駕し駕士25人(命婦は厭翟車、駕士23人。二品三品もこれに準じる)、散扇8(二品は4減らし三品は6減らす。命婦は散扇50、行障5を車前に並べる。二品三品もこれに準じる)、方繖2、朱団扇4、曲盖2、大角8(命婦は屬車6、黄牛を駕し駕士59人、大角の前を行く。二品三品もこれに準じる)。次に後部皷吹丞1員、録事1人、引楽官2員、鐃皷1、簫・笳・大横吹各4、莭皷1、笛・簫・觱栗・笳各4。外仗は青衣10人、車輻棒10、戟90、刀盾・矟各80、弓矢60、儀刀30、信幡8、告止幡・傳教幡・儀鍠斧挂五色幡各4。次に衛尉寺の排列押当職掌11人、部轄人員、太僕寺の部押人員・教馬官各1人、押当職掌4人(命婦は2人加える)。
  • 二品の鹵簿(命婦も同じ)。中道の清道2人、幰弩1、大晟府前部皷吹令1及び職掌・局長・院官各1人、掆皷・金鉦各1、大皷14、麾幢・莭各1が矟2を夾む、誕馬4。次に革車1乗、赤馬4を駕し駕士25人、散扇4、方繖・朱団扇・曲盖各2。次に大角8。次に後部皷吹丞・録事・引楽官各1人、鐃皷1、簫・笳各2、大横吹4、笛・簫・觱栗・笳各2。外仗は青衣8人、車輻棒8、戟70、刀盾・矟・弓矢各60、儀刀14、信幡4、告止傳教幡各2。次に衛尉排列押当職掌9人、部轄人員、太僕寺の部押人員・教馬官各1人、押当職掌4人(命婦は2人加える)。
  • 三品の鹵簿(命婦も同じ)。中道の清道2、幰弩1、麾幢各1、莭1が矟2を夾む、誕馬4。次に革車1乗、赤馬4を駕し駕士25人、散扇2、方繖2、曲盖1、大角4。外仗は青衣8人、車輻棒6、戟60、刀盾・矟・弓矢各50、儀刀12、信幡4、告止傳教幡各2。次に衛尉排列押当職掌7人、部轄人員、太僕寺の部押人員・教馬官各1人、押当職掌4人(命婦は2人加える)。
  • 以上はいずれも政和年間に定められたものである。