建炎二年(1128年)
- 春正月丙戌朔、帝が揚州に在る。丁亥、両河の流亡吏士を録し沿河の流民に官田・牛種を給する。戊子、金人が鄧州を陥し委撫劉汲が死す。辛卯、行在に榷貨務を置く。壬辰、金人が東京を犯し宗澤が将を遣わし撃却する。癸巳、明法新科を復す。甲午、寿寧寺に詣で祖宗の神主を謁する。乙未、金人が永興軍を破り、前河東経制副使傅亮が兵を以て降り、経略使唐重・副総管楊宗閔・提挙軍馬陳迪・転運副使桑景詢・判官曾謂・提点刑獄郭忠孝・経略司主管機宜文字王尚及びその子建中が倶に死す。東平府兵馬鈐轄孔彦舟が叛き淮を渡り黄州を犯すが守臣趙令歳がこれを拒む。丙申、今後、枉法自盗贓の犯罪者は中書がその姓名を籍し罪徒に至れば永く録用せぬと詔す。金人が均州を陥し守臣楊彦明が遁走。丁酉、金人が房州を陥す。己亥、張遇が真州を焼き秘閣修撰孫昭遠が乱兵に害される。
- 庚子、主客員外郎謝亮を陝西撫諭使兼宣諭使とし詔を持たせ夏国に賜う。張遇が鎮江府を陥し守臣銭伯言が城を棄てて走る。辛丑、内侍邵成章が輙く人臣を言った罪により除名し南雄州編管とする。金人が鄭州を陥し通判趙伯振が死す。癸卯、金帥窩里嗢が濰州を陥し、また青州を陥すが尋いで棄て去る。丁未、流民潰兵で盗賊となった者の罪を釈す詔。己酉、諸将が潰兵を蜀に引き入れることを禁じ大散関に使を置き審験させる。庚戌、考功員外郎傅雱を淮東京東西撫諭使とする。辛亥、王淵が張遇を招降しその部下万人を韓世忠に隷させ、顕謨閣直学士に改授する。孟忠厚を常徳軍承宣使とする。后族は侍従官に任せぬことを詔し法とする。金人が鄧州を焼く。この月、中奉大夫劉豫を知済南府とする。金人が頴昌府を陥し守臣孫黙が殺され、経制司僚属王択仁が永興軍を復す。金人が秦州を陥し経略使李復が降り、また熙河を犯すが経略使張深が兵馬都監劉惟輔を遣わし新店で戦いこれを破りその帥黒鋒を斬る。
- 二月丙辰、金人が再び東京を犯し宗澤が統制閻中立らを遣わし拒ぐが中立が戦死。戊午、耿南仲を臨江軍に移す。金人が唐州を陥す。壬戌、安化軍節度副使宇文虚中が絶域への使に応詔し中大夫を復し行在に召される。癸亥、市易務を罷める。甲子、金人が滑州を犯し宗澤が張撝を遣わし救わせるが戦死。乙丑、澤が判官范世延らを遣わし帝の還闕を表請、河北の賊楊進らが澤に詣で降る。丁卯、延康・述古殿直学士を端明・枢密直学士に復す。辛未、今後、枉法自盗贓罪で死に至る者はその貲を籍すると詔す。壬申、福州の叛卒張員らを赦す。癸酉、金人が蔡州を陥し守臣閻孝忠を執える。丙子、金人が淮寧府を陥し守臣向子韶が死す。丁丑、王貺らを金国軍前通問使に充てる。戊寅、知鎮江府趙子崧を単州団練副使に降責し南雄州安置。己卯、秘書正字胡珵の官を奪い梧州編管とする。朝奉大夫劉正彦が絶域への使に応詔し武徳大夫威州刺史を授かり尋いで御営右軍副統制となる。庚申、王淵を嚮徳軍節度使とする。辛巳、武功大夫和州防禦使馬拡が真定五馬山砦に奔り兵を聚め民間で皇弟信王榛を得てこれを奉じ諸砦を総制する。壬午、京畿京東西河北淮南路に振華軍八万人を置く詔。この月、成都守臣盧法原が城の修築を終える。
- 三月辛卯、金人が中山府を陥す。壬辰、諸路安撫使に官吏を便宜節制することを許す詔。丁酉、初めて大小使臣の呈試弓馬・出官格を立て先に閲試させ然る後に奏補させる。黏罕が西京を焼き去る。庚子、河南統制官翟進が西京を復し宗澤が進を京西北路安撫制置使に奏する。丙午、遥授尚書右僕射何㮚を観文殿大学士とし、中書侍郎陳過庭を資政殿大学士、同知枢密院事聶昌を資政殿大学士とし並びに宮観を主管させる。時に何㮚は已に金で卒し聶昌も人に殺されていたが朝廷は未だこれを知らず陳過庭もまた金軍中に在った。丁未、内外の権局官で法に応じぬ者を罷める。楊応誠を大金高麗国信使に遣わす。己酉、張員らが再び乱を作し衆を擁して城を突出し本路提点刑獄李芘に討捕させる。辛亥、范瓌を権同主管侍衛歩軍司公事とし真州に屯める。この月、金人が鳳翔府を陥し守臣劉清臣が城を棄てて去り、また涇原を犯すが経略使曲端が将を遣わし拒戦しこれを破り金兵が同・華・石・濠に走る。尉李彦仙が兵を挙げ陝州を復す。
- 夏四月丙辰、文臣で従官から牧守に至るまで、武臣で管軍から遥郡に至るまで各それぞれ知る所二人を挙げさせる詔。戊午、州県が鄰保に逃戸の税役の代輸を責めることを禁じる。宗澤が将趙世興を遣わし滑州を復す。乙丑、翟進が兵で金帥兀室を河南に襲うが兵が敗れその子亮が死す。進はまた御営統制韓世忠・京城都巡検使丁進らを率い文家寺で戦うがまた敗れ、世忠は余兵を収めて南に帰る。兀室が再び西京に入るが尋いで棄て去る。隴右都護張厳が金人と五里坡で戦い敗績し死す。丁卯、金人が洛州に入る。壬辰、軍賊孫琦が随州を焼く。癸未、唐州に入る。信王榛が馬拡を遣わし来奏す。この月、榛を河外兵馬都元帥、拡を元帥府馬歩軍都総管とする。
- 五月乙酉、許景衡が罷免。孫琦が徳安府を犯す。丙戌、元祐科挙の条制を参酌し詩賦経義の分試法を立てることを命じる。戊子、翰林学士朱勝非を尚書右丞とする。辛卯、金兵の渡河により韓世忠・宗澤らを遣わし逆戦させる。甲午、河北陝西京東路を曲赦。福建転運判官謝如意が張員ら六人を執えてこれを誅す。丙申、再び宇文虚中を資政殿大学士に命じ金国祈請使に充てる。賊靳賽が光山県を寇す。戊戌、河北制置使王彦が兵を部して河を渡り滑州の沙店に屯める。癸卯、張慤が薨去。甲辰、金帥婁宿が絳州を陥す。丁未、両浙福建提挙市舶司を復置する。己酉、秀州卒徐明らが乱を作し守臣朱芾を執え、前守趙叔近を迎え再び州事を領させ、御営中軍統制張俊にこれを討たせる。癸丑、諸路の職田の借りを罷める。
- 六月乙卯、卭州が銭を鋳造し銭引を増印する。癸亥、建州卒葉濃らが乱を作し福州を寇す。甲子、親ら囚を慮る。乙丑、張俊が秀州に至り趙叔近を殺し徐明を執えこれを斬る。甲戌、葉濃が福州を陥す。丁丑、江浙沿流の州軍に水軍を練り戦艦を造らせる詔。京畿淮甸で蝗害。この月、知延安府王庶に陝西六路軍馬の節制を命じ、涇原経略使曲端を節制司都統制とする。永興軍経略使郭琰が王択仁を逐い択仁は興元に奔る。秋七月甲申、葉濃が寧徳県に入りまた建州に還る。張俊に両浙提点刑獄趙哲と同じくこれを討たせる。丙戌、吏部に京官で政和以後の進書頌及び直赴殿試の人以外を審量し参選を聴す詔。宗澤が薨去。丁亥、蔡京・王黼の擬授で廃された百官を自新して復用することを許す詔。戊子、軍中の抉目刳心の刑を禁じる。壬辰、江浙州軍の正兵・土兵の六分の一を選び行在に赴かせる。乙未、郭仲荀を京城副留守とする。戊戌、内外諸軍将士の功を録する。辛丑、春霖夏旱蝗により監司郡守に闕政を条上させ災甚しい州郡の田賦を蠲する詔。甲辰、降授北京留守杜充を復して枢密直学士とし開封尹東京留守とする。
- 八月甲寅、初めて御宝三を鋳造する。甲戌、集英殿で礼部進士を策試する。殿中侍御史馬伸を罷め尋いで濮州に責める。河北京東捉殺使李成が叛き辛巳、宿州を犯す。この月、二帝が韓州に徙居させられる。九月甲申、丁進が叛き再び淮西を寇す。庚寅、礼部進士李易以下四百五十一人に及第出身を賜い、特奏名進士は皆調官を許される。壬辰、侍従に挙げさせた褚宗諤ら二十一人を駅で行在に赴かせる。癸巳、金人が冀州を陥し将官李政が死す。甲午、金人が再び永興軍を犯し経略使郭琰が城を棄て義谷に退保。辛丑、陝西節制司兵官賀師範が金人と八公原で戦い敗績し死す。丙午、減じた京官の俸を復す。丁未、東京留守統制官薛広が金人と相州で戦い敗死。己酉、郭三益が薨去。この秋、窩里嗢・橽懶が五馬山砦を破り信王榛が終わる所を知らずとなる。馬拡の軍が北京の清平で敗れる。
- 冬十月甲寅、揚州に隍を濬らせ城を修めさせ江淮州郡の水軍を閲すことを命じる。楊応誠が高麗より還る。戊午、劉光世を遣わし李成を討たせる。壬戌、江浙で閉糴を禁じる。癸亥、黏罕が濮州を囲み韓世忠・范瓊に兵を率い東平・開徳府に至らせ分道して拒戦させ、また馬拡にこれを援けさせる。甲子、孟忠厚に隆祐太后を奉じ杭州に幸させることを命じる。楊進が再び叛き汝・洛を攻め翟進に鳴皋山で撃たせるが翟進が戦死。丙子、吏部の崇寧大観以来の濫賞の審量を罷め自陳させるに止める。この月、劉正彦が丁進を撃ちこれを降す。十一月辛巳朔、提挙嵩山崇福宮李綱が単州団練副使万安軍安置に責授。劉光世が李成と新息県で戦い成が敗走。高麗国王王楷が臣尹彦頤を遣わし入見。金人が陝州を囲むが守臣李彦仙が拒戦しこれを却ける。壬辰、金人が延安府を陥し権知府劉選・総管馬忠が皆遁走し通判府事魏彦明が死す。癸巳、趙哲が建州城下で葉濃を大破しこれを遁走させて降す。濃が再び変を謀るが張俊がこれを禽斬する。乙未、金人が濮州を陥し守臣楊粋中を執え、また開徳府を陥し守臣王棣が死す。魏行可を金国軍前通問使に充てる。
- 庚子、寿寧寺に詣で祖宗の神主に朝饗する。壬寅、冬至、圜丘で昊天上帝を祀り太祖を配し大赦する。金人が相州を陥し守臣趙不試が死す。甲辰、徳州を陥し兵馬都監趙叔昄が死す。庚戌、士庶子弟の習射補官法を立てる。この月、節制陝西軍馬王庶が曲端に拘われ印を奪われる。四川茶馬趙開が茶の官買売を罷め引を給し通商すること政和法の如くする。金人が晋寧軍を犯すが守臣徐徽言がこれを拒却する。知府州折可求が城を挙げて降る。金人が淄州を陥す。涇原兵馬都監呉玠が史斌を襲斬する。濱州の賊蓋進が棣州を陥し守臣姜剛之が死す。京東の賊李民が行在に詣で降を請い王淵がその衆を殲滅し民を留めて将とする。十二月乙卯、太后が杭州に至る、扈従統制苗傅が兵八千人で奉国寺に駐まる。庚申、金人が東平府を犯し京西路制置使権邦彦が城を棄てて去り、また済南府を犯すが守臣劉豫が城を以て降る。甲子、金人が大名府を陥し提点刑獄郭永が敵を罵り屈せず死し、転運判官裴億が降る。また襲慶府を陥す。乙丑、虢州を陥す。丙寅、初めて国史の修訂を命じる。己巳、黄潜善を尚書左僕射兼門下侍郎、汪伯彦を右僕射兼中書侍郎、顔岐を門下侍郎、朱勝非を中書侍郎、兵部尚書盧益を同知枢密院事とする。辛未、金人が青州を犯す。丁丑、特進致仕余深・金紫光禄大夫致仕薛昻を並びに分司し昌軍・徽州に居住させる。耿南仲を再び単州別駕に責め、唐恪の観文殿大学士を追落する。戊寅、礼部侍郎張浚に御営参贊軍事を兼ねさせ長兵を教習させる。この冬、杜充が黄河を決壊させ泗から淮に自入させ金兵を阻む。
建炎三年(1129年)
- 春正月庚辰朔、帝が揚州に在る。京西北路兵馬鈐轄翟興を河南尹京西北路安撫制置兼招討使とする。京西の賊貴仲正が岳州を陥す。甲申、資政殿学士路允迪を簽書枢密院事とする。丁亥、金人が再び青州を陥し、また濰州を陥し城を焼いて去る。京東安撫劉洪道が青州に入りこれを守る。己丑、西京会聖宮及び累朝御容を寿寧寺に奉安する。占城国が入貢。大金通問使李鄴・周望・宋彦通・呉徳休らを軍前に趣かせる。辛卯、陝州都統邵興が金人と潼関で戦いこれを破り虢州を復す。乙未、杜充が岳飛・桑仲を遣わしその叛将張用を城南で討たせるがその徒王善がこれを救い官軍が敗績する。庚子、張用・王善が淮寧府を寇するが守臣馮長寧がこれを却ける。百官に警を聞き家属を遣わし避兵させることで物情を動揺させる者は流罪と詔す。丙午、黏罕が徐州を陥し守臣王復及び子倚が死す。軍校趙立が郷兵を結び興復を計る。御営平冦左将軍韓世忠の軍が沭陽で潰え、その将張遇が死し世忠は塩城に奔る。金兵が淮陽守臣李寛を執え転運副使李跋を殺し、騎兵三千で彭城を取って間道を淮甸に趨く。戊申、泗州に至る。
- 二月庚戌朔、初めて士民に便に従い避兵することを聴す。劉正彦に兵を部し皇子六宮を衛って杭州に赴かせることを命じる。江淮制置使劉光世が淮に阻って金人を拒むが敵は未だ至らずして自潰する。金人が楚州を犯し守臣朱琳が降る。辛亥、金人が天長軍を陥す。壬子、内侍鄺詢が金兵の到来を報じると帝は甲を被り鎮江府に馳幸する。この日、金兵が楊子橋を過ぎる。癸丑、遊騎が瓜洲に至る。太常少卿季陵が太廟神主を奉じて行くが金兵がこれを追い太祖の神主を失う。王淵が杭州行きを請う。朱勝非を留め鎮江を守らせ、吏部尚書呂頤浩を資政殿大学士江淮制置使とし、都巡検使劉光世を殿前都指揮使充行在五軍制置使とし鎮江府に駐まり江口を控扼させ、主管馬軍司楊惟忠に江東軍馬を節制させ江寧府に駐まらせる。この夕、鎮江を発ち呂城鎮に次する。金人が真州に入る。甲寅、常州に次する。御営統制王亦が江寧に拠ることを謀るが克たず遁走。御営平冦前将軍范瓊が東平より兵を引き寿春に至るがその部兵が守臣鄧紹密を殺す。丙辰、平江府に次する。丁巳、金人が泰州を犯し守臣曾班が城を以て降る。丁進が兵を縦ち剽掠するので王淵がこれを誘い誅す。戊午、呉江県に次し朱勝非に平江府・秀州の控扼軍馬を節制させ礼部侍郎張浚を副とする。また勝非に御営副使を兼ねさせ王淵を留めて平江を守らせる。忠訓郎劉俊民を閤門祗候とし書を持たせ金軍に使わす。張邦昌の親属の録用を詔し俊民に邦昌の金人と約した和書の草稿を持たせて行かせる。金人が滄州を陥し守臣劉錫が城を棄てて走る。
- 己未、秀州に次する。呂頤浩に長江の経制を往来させることを命じ、竜図閣待制知江州陳彦文を沿江措置使とする。庚申、崇徳県に次する。呂頤浩が従行し即ち同簽書枢密院事江淮両浙制置使を拝命し兵二千で京口に還屯する。また御営中軍統制張俊に兵八千で呉江を守らせることを命じる。吏部員外郎鄭資之を沿江防托、監察御史林之平を沿海防托とし海舟を募って隘を守らせる。壬戌、杭州に駐蹕する。金人が晋寧軍を陥し守臣徐徽言が死す。癸亥、罪己求直言の詔を下し有司に舟を具えて常潤で衣冠・軍民の家属を迎済させ儀物・膳羞を省き職掌の無い宮人を出す。乙丑、徳音を降し雑犯死罪以下の囚を赦し放還する。士大夫で竄斥された者もこれに放還されるが、ただ李綱の罪だけは赦さず更に放還せず、これは黄潜善の計を用い綱に罪して金人に謝したものである。江寧府に榷貨務都茶場を置く。丁卯、百官が入見し迪功郎以上は並びに朝参に赴くことに応じる。戊辰、米十万斛を出し杭秀常湖州平江府に即し直を損じて糶し東北の流寓の人を済う。金人が揚州を焼く。己巳、御史中丞張澂の言を用い黄潜善・汪伯彦を罷め、戸部尚書葉夢得を尚書左丞、澂を右丞とする。庚午、平江鎮江府常湖杭越州に寓居する京朝官以上の姓名を具え簡抜に備えさせ、分けて浙西監司等官に土豪を募り千秋垂脚・襄陽の諸嶺を守らせ宣常諸州の険要を扼させる詔。金人が揚州を去る。
- 辛未、御営使司に唯だ行在五軍を掌らせ辺防経制は並びに三省枢密に帰す詔。金人が高郵軍を過ぎ守臣趙士瑗が城を棄てて走る。潰兵宋進が泰州を犯し守臣曾班が遁走。壬申、軍期司の民財を掊斂する者を罷める。呂頤浩が将陳彦を遣わし江を渡り金の余兵を襲い揚州を復す。癸酉、靳賽が通州を犯す。韓世忠の小校李在が叛き高郵に拠る。甲戌、黄潜善・汪伯彦を並びに落職する。乙亥、朱勝非を行在に召し張浚を留めて平江に駐まらせる。陳東・欧陽澈に承事郎を贈り官はその服親一人にあり家を恤する。馬伸を行在に召すが卒し直竜図閣を贈る。丙子、士民に時政の得失を直言させる詔。この月、王庶を陝西節制使知京兆府とする。節制司都統制曲端を鄜延経略使知延安府とする。張用が確山に拠り張莽蕩と号する。
- 三月己卯朔、日中に黒子。庚辰、朱勝非を尚書右僕射兼中書侍郎とする。辛巳、葉夢得が罷免、盧益を尚書左丞とするが未だ拝せずして再び罷め資政殿学士とする。御営都統制王淵を同簽書枢密院事、呂頤浩を江南東路安撫制置使知江寧府とする。壬午、王淵が進呈書押本院文字を免ずる詔。扈従統制苗傅が王淵の急に君寵を得たことを忿り劉正彦が招降した劇盗の賞が薄いことを怨む。帝は揚州に在って閹宦が用事し恣横であったため諸将の多くはこれを疾んでいた。癸未、傅・正彦らが叛き兵を勒し闕に向かい王淵及び内侍康履以下百余人を殺す。帝が楼に登り傅を慶遠軍承宣使御営使司都統制、正彦を渭州観察使副都統制とする。傅らが帝を逼り皇子魏国公に位を遜らせ隆祐太后に垂簾同聴政を請う。この夕、帝は顕寧寺に移御する。甲申、帝を睿聖仁孝皇帝と尊び顕寧寺を睿聖宮とし大赦する。張澂に中書侍郎を兼ねさせ、韓世忠を御営使司提挙一行事務、前軍統制張俊を秦鳳副総管としその衆を諸軍に分隷させる。丁亥、東京留守杜充を資政殿大学士とし京東西路を節制させ、殿前副都指揮使東京副留守郭仲荀を昭化軍節度使に進める。内侍藍珪・高邈・張去為・張旦・曾択・陳永錫を嶺南諸州に分竄するが、択は已に行き傅がこれを追還して殺す。呂頤浩が江寧に至る。戊子、端明殿学士王孝迪を中書侍郎、盧益を尚書左丞とする。張俊の部衆八千が平江に至り張浚が決策起兵問罪を諭し呂頤浩・劉光世に約し韓世忠を招いて来会させる。
- 己丑、明受と改元。張浚が奏し睿聖皇帝に要務を親総させることを乞う。庚寅、百官が始めて睿聖宮に朝す。苗傅を武当軍節度使、劉正彦を武成軍節度使、劉光世を太尉淮南制置使、范瓊を慶遠軍節度湖北制置使、楊惟忠に少保を加える。張浚を礼部尚書とし呂頤浩と並びに行在に赴かせる。傅らが御営中軍統制呉湛に歩軍司を主管させ、黄潜善・汪伯彦を並びに分司し衡・永州に居住させる。王孝迪・盧益を大金国信使、進士黄太本・呉時敏を先期告請使とする。行在に都茶場を置く。呂頤浩が奏し睿聖皇帝に大位を復すことを請う。金人が鄜州を陥す。癸巳、張浚が節制司参議官辛道宗に海舶を措置させ、布衣馮轓を遣わし書を持たせ傅・正彦を説かせる。甲午、有司が太后を太皇太后と尊ぶことを請うが許さず。呂頤浩が勤王兵万人を率い江寧を発つ。乙未、再び黄潜善を鎮東軍節度副使に貶し英州安置とする。劉光世の部兵が丹陽で呂頤浩に会す。丙申、韓世忠が塩城より散卒を収め平江に至り、張俊が兵二千を仮る。戊戌、行在に赴く。
- 辛丑、傅らが世忠を定国軍節度使、張俊を武寧軍節度使知鳳翔府とするが張浚が黄州団練副使郴州安置に責められた俊らは皆受けず、傅らが軍を遣わし臨平に駐め勤王兵を拒がせる。壬寅、日中の黒子が没する。盧益が罷免。呂頤浩が平江に至る。水賊邵青が泗州に入る。癸卯、太后が詔し睿聖皇帝は皇太弟天下兵馬大元帥、康王皇帝は皇太姪監国と称すべしと言う。傅・正彦に鉄券を賜う。呂頤浩・張浚が檄を中外に伝え傅・正彦を討ち黄太本を執えて獄に下す。乙巳、太后が旨を降し睿聖皇帝に兵馬重事を処分させる。張俊が兵を率い平江を発ち劉光世がこれに継ぐ。丙午、張浚を同知枢密院事、翰林学士李邴・御史中丞鄭瑴を並びに同簽書枢密院事とする。呂頤浩・張浚が平江を発つ。丁未、呉江に次し建炎皇帝の還って即位を復すことを乞い奏す。朱勝非が傅・正彦を都堂に召し復辟を議し傅らは遂に睿聖宮に朝す。金人が京東諸郡を陥し劉洪道が青州を棄てて去る。橽懶が劉豫を知東平府とし河南州郡を節制させる。趙立が徐州を復す。
- 夏四月戊申朔、太后が詔を下し政を還し皇帝は大位を復す。帝が宮に還り太后と前殿に御し垂簾、太后を隆祐皇太后と尊ぶ詔。己酉、太祖神主の訪求を詔す。苗傅を淮西制置使、劉正彦を副とする。庚戌、建炎の紀年を復す。張浚を知枢密院事とし苗傅・劉正彦を並びに検校少保とする。呂頤浩・張浚の軍が臨平に次し苗翊・馬柔吉が拒戦するが勝てず、傅・正彦が兵二千を引き夜に遁れる。辛亥、皇太后が簾を撤す。呂頤浩らが入見する。傅が富陽・新城の二県を犯し統制王徳・喬仲福を遣わしこれを追撃する。癸未、朱勝非・顔岐・王孝迪・張澂・路允迪が倶に罷免。呂頤浩を尚書右僕射兼中書侍郎、李邴を尚書右丞、鄭瑴を簽書枢密院事とする。甲寅、劉光世を太尉御営副使、韓世忠を武勝軍節度使御前左軍都統制、張俊を鎮西軍節度使御前右軍都統制とし勤王所の僚属将佐は進官に差ある。主管殿前司王元左言が並びに官を責められ英・賀州安置。枢密都承旨馬瑗が停官され永州居住。吏部員外郎范仲熊・浙西安撫司主管機宜文字時希孟が並びに除名し柳州・吉陽軍編管とする。中軍統制呉湛・工部侍郎王世修を市で斬り王淵に開府儀同三司を贈る。乙卯、大赦し仁宗の法度を挙行、嘉祐の条制で今と異なる者は官制役法以外は賞格を重きに従い条約を寛きに従わせる。上供の不急の物を罷める。元祐石刻党人の官職恩数で未だ復されぬ者は其の家に自陳させ中外に直言を許す。丁巳、内侍が主兵官に交通すること及び饋遺假貸借役を禁じ、禁兵の朝政干預を禁じる。庚申、尚書左右僕射は並びに同中書門下平章事を帯び、門下中書侍郎を参知政事に改め尚書左右丞を省くと詔す。李邴を参知政事とする。行在の職事官に各それぞれ知る所を挙げさせ館学寺監等の官を併省する詔。
- 苗傅が衢州を犯す。癸亥、給事中周望を江浙制置使とする。丁卯、帝が杭州を発つ。鄭瑴を留めて皇太后を衛らせる。韓世忠を江浙制置使とし劉光世と共に傅・正彦を追討させる。己巳、傅正彦・苗竬・苗翊・張逹は赦さず余党は並びに原すと詔す。壬申、子魏国公旉を立てて皇太子とする。傅の党王鈞甫・馬柔吉の罪を赦しその自帰を許す。丙子、范瓊が光・蘄より兵を引き洪州に屯める。この月、劉文舜が濠州を寇し西北の賊薛慶が高郵軍を襲拠する。五月戊寅朔、帝が常州に次する。張浚を宣撫処置使とし川陝京西湖南北路をこれに隷し便宜黜陟を聴す。庚辰、苗傅の統領官張翼が王鈞甫を斬り馬柔吉が降る。辛巳、鎮江府に次し人を遣わし張慤・陳東の墓を祭りその家を恤することを詔す。癸未、翰林学士滕康を同簽書枢密院事とする。乙酉、江寧府に至り神霄宮に駐蹕、府名を建康と改める。起復朝散郎洪皓を大金通問使とする。丁亥、徽猷閣直学士陳彦文に水軍を提領させ江浙の防托を措置させる。藍珪らを速やかに朝に還らせる。己丑、韓世忠が浦城県で傅・正彦を追討しこれを獲るが傅は遁走。張浚が薛慶を高郵で撫諭するが慶に留められる。
- 乙未、浚が罷免、御営前軍統制王&KR0645;を淮南招撫使とする。己亥、中書門下省検正官を復置し左右司郎中二員を省く。苗傅の裨将江池が苗翊を殺し周望に降る。傅が建陽県に走り土豪詹標がこれを執えて献じる。辛丑、張浚が高郵より還り知枢密院事に復命される。この月、翟興が楊進を撃殺しその余党が復びその徒劉可を推して官軍を拒む。六月戊申朔、東京留守杜充が兵を引いて行在に赴くことにより宣撫処置副使を兼ねさせ淮南京東西路を節制させる。己酉、久雨により郎官以上に闕政を言わせる。呂頤浩が実封で聞かせることを請い遂に司勲員外郎趙鼎の言を用い王安石の神宗廟庭配享を罷め司馬光を配す。王善が淮寧府を攻めるが克たず転じて宿州を寇し統領王冠がこれを戦い破る。甲寅、賞功司を罷める。乙卯、死事者の家を恤しその後を録することを命じる。浙西安撫使康允之を制置使に昇格。丙辰、劉光世が苗傅の将韓雋を招安する。戊午、江浙淮南に塘濼を引き畎澮を開き金兵を阻ませることを命じる。庚申、皇太后が建康府に至る。
- 辛酉、久陰により罪己の詔を下し四失を言う。一に経邦の大略に昧く、二に戡難の遠図に昧く、三に人を綏んずる徳無く、四に臣を馭す柄を失す。仍って朝堂に榜し天下に徧諭し朕の悔過の意を知らしむ。帯御器械李質に権に殿前司を同主管させる。乙丑、建康府路安撫使連南天に建康府宣徽太平等州制置使を兼ねさせる。丁卯、右司諫袁植が黄潜善及び失守者権邦彦ら九人を誅すことを請うが、朕は方に咎責を念う、豈に尽く過失を臣下に帰すべきかと詔し植を罷め知池州とする。趙鼎を右司諫とする。癸酉、枢密院検詳官を置く。右司郎中劉寧止を沿江措置副使とする。甲戌、行宮を移御する。乙亥、防秋の迫近により太后に宗室を率い神主を奉迎させ江表に赴かせ百司庶府で軍旅の事に非ざる者も並びに従行させる詔。朕は輔臣宿将と寇敵に備禦する、応接中原の官吏民士で家属を南に去らせる者は有司これを禁じるなかれと詔す。金人が磁州を陥す。この夜、賊貴仲正が降る。
- 秋七月戊寅、王復に資政殿学士を贈る。己卯、親ら囚を慮る。辛巳、苗傅・劉正彦が伏誅。癸未、韓世忠に検校少保武勝昭慶軍節度使御営使司都統制を進める。范瓊が洪州より入朝、瓊を御営使司提挙一行事務、後軍統制辛企宗を都統制とする。学士院に夏国書・大金国表本を草させ張浚に付す。甲申、苗劉の変で当軸の大臣が身を以て社稷を衛れなかったことにより朱勝非・顔岐・路允迪を並びに落職、張澂を衡州居住とする。知廬州胡舜陟を淮西制置使、知江州権邦彦に本路制置使を兼ねさせる。金人が山東を犯し安撫使劉洪道が濰州を棄てて遁れ、萊州の守将張成が城を挙げて降る。丁亥、范瓊が跋扈無状により大理獄に収め、その兵を神武五軍に分隷する。皇太子が薨去し元懿の諡を賜う。戊子、鄭瑴が薨去。己丑、資政殿大学士王綯を参知政事、兵部尚書周望を同簽書枢密院事とする。庚寅、仙井監郷貢進士李時雨が上書し宗子を選び立て人心を係ぐことを乞うが帝は怒り郷里に斥還する。辛卯、杭州を臨安府に昇格。壬辰、言者がまた范瓊の徽宗逼遷及び張邦昌の迎立を論じ瓊が辞伏し死を賜う、子弟は皆嶺南に流される。劉洪道が青州を復し金の守向大猷を執える。乙未、謝亮を遣わし夏国に使わす。丁酉、崔縦を遣わし金軍前に使わす。庚子、張浚が行在を発つ。
- 辛丑、王&KR0645;が靳賽と遇い合戦し敗績。壬寅、李邴・滕康に権知三省枢密院事を命じ太后の洪州行きに扈従させ、楊惟忠が兵万人を将いこれを衛る。杜充を同知枢密院事兼宣撫処置副使とする。乙巳、江西閩広荊湖諸路に峒丁槍杖手を団教させる詔。山東の賊郭仲威が淮陽軍を陥す。翟興が兵を引き汝州に入り賊王俊と戦いこれを破る。八月己酉、浙江安撫司を鎮江府に移す。庚戌、李邴が罷免。壬子、吏部尚書劉珏を端明殿学士権同知三省枢密院事とする。甲寅、王庶が罷免、徽猷閣直学士知慶陽府王似を陝西節制使とする。劉文舜が舒州に入る。己未、太后が建康を発つ。丁卯、杜時亮を遣わし金軍前に使わす。閏八月丁丑朔、胡舜陟を沿江都制置使とし集英殿修撰王羲叔を副とする。丁亥、輔逵が漣水軍を掠め軍使郝璘を殺し衆を率い王&KR0645;に降る。己丑、呂頤浩に尚書左僕射を守らせ杜充に右僕射を守らせ並びに同中書門下平章事とする。庚寅、起居郎胡寅が上書し二十事を言うが呂頤浩は悦ばずこれを罷める。
- 辛卯、杜充に江淮宣撫使を兼ねさせ建康を守らせる。前軍統制王&KR0645;をこれに隷す。韓世忠を浙西制置使とし鎮江を守らせる。劉光世を江東宣撫使とし太平・池州を守らせ並びに充の節制を受けさせる。丁酉、太后が洪州に至る。己亥、福建広南の歳上供銀を三分の一減じる。制置使は唯だ用兵のみ便宜を聴し余事は悉く禁じる詔。壬寅、帝が建康を発ち再び浙西に還る。張俊・辛企宗はその軍で従う。甲辰、鎮江府に次し陳東の家に金を賜う。張浚が襄陽に次し官軍・義兵を招き襄郢唐鄧に分屯させ程千秋・李允文にこれを節制させる。この月、知済南府宮儀及び金人がしばしば密州で戦い兵が潰え儀及び劉洪道は倶に淮南に奔り、守将李逵が密州を以て金に降る。靳賽が劉光世に詣で降る。九月丙午朔、日食。諜報で金人が舟師を治め海道より江浙を窺おうとしているとし韓世忠を遣わし圌山・福山を控守させる。辛亥、平江府に次する。壬子、金人が単州・興仁府を陥しついに南京を陥し守臣凌唐佐を執えこれを降す。癸丑、周望を両浙荊湖等路宣撫使とし兵を総べ平江を守らせる。翰林学士張守を同簽書枢密院事とする。劉光世に江州に移屯させる。丙辰、張邵らを遣わし金国軍前通問使に充てる。金人が沂州を陥し高麗の入貢使を却ける。張浚が承制で罷免し知潭州とした辛炳を起復し直竜図閣向子諲に代えさせる。丁巳、諸路の青苗積欠銭を蠲する。辛酉、知鼎州邢倞が耶律余覩に結んだ罪に坐し再び汝州団練副使に責め英州安置。癸亥、宿泗州都大提挙使李成に軍絹二万匹を賜うが成は尋いで再び叛く。己巳、胡舜陟を宣撫司参謀官とし知鎮江府陳邦光を沿江都制置使とする。
- 庚午、工部侍郎湯東野を知平江府兼浙西制置使とする。辛未、鄒浩の竜図閣待制を追復する。壬申、夜、潭州の禁卒が乱を作し竄れることを謀るが果たさず向子諲がこれを招安する。甲戌、金帥婁宿が長安を犯し経略使郭琰が城を棄て遁走。河北の賊酈瓊が光州を囲む。冬十月丙子朔、按察官に歳ごとに発摘した贓吏の姓名を上げさせ殿最と為す詔。庚辰、諸軍が擅に川陝に入ることを禁じる。癸未、帝が杭州に至り再び浙東に赴く。庚寅、浙江を渡る。郭仲威が周望に詣で降り、望が仲威を本司統制とする。辛卯、李成が滁州を陥し守臣向子伋を殺す。壬辰、帝が越州に至る。癸巳、提挙広西峒丁李棫に邕州で馬を市わせ牧養務を置く。戊戌、初めて東南八路に歳ごとに経制五項銭を収め行在に輸させることを命じる。張浚が興元府で兵を治める。金人が寿春府を陥す。庚子、黄州を陥し守臣趙令峸が死す。辛丑、張浚が同主管川峡茶馬趙開を随軍転運使とし専ら行そのものを総べさせる、天慶観に奉安するよう詔する、尋いで王&KR0645;に淮西軍馬を節制し金人を拒ぐよう命じる。甲子、杜充が都統制陳淬・岳飛らを遣わし金人と馬家渡で戦うが王&KR0645;が軍を先んじて遁れ淬が敗績し死す。乙丑、検正諸房公事傅崧卿を浙東防遏使とする。太后が吉州を発ち太和県に次し護衛統制杜彦及び後軍楊世雄が衆を率い叛き永豊県を犯し知県事趙訓之が死す。金人が太和県に至り太后は万安より陸行し虔州に赴く。
- 丁卯、十詔で浙西に回り金人を迎え撃つことを命じる。金人が吉州を犯し守臣楊淵が城を棄てて走る。また六安軍を陥す。己巳、帝が越州を発ち銭清鎮に次する。庚午、再び越州に還る。周望を同知枢密院事とし仍って両浙宣撫使を兼ねさせ平江を守らせる。殿前都指揮使郭仲荀を副使とし越州を守らせる。右軍都統制張俊を浙東制置使とし従行させる。御史中丞范宗尹が参知政事となる。辛未、兀朮が建康府に入り守臣陳邦光・戸部尚書李棁が迎拝するが通判楊邦乂はこれを拒む。癸酉、帝が明州に赴く。金人が建昌軍を犯すが兵馬監押蔡延世がこれを撃却する。甲戌、兀朮が楊邦乂を殺す。韓世忠が鎮江より兵を引き江陰軍に赴き、江淮宣撫司の潰卒李選が鎮江を攻陥し淮西兵馬都監王宗望が濠州を以て金に降る。この月、張浚が秦州に至り、桑仲が唐州より四川の財賦を掌る。金人が黄州より江を済り劉光世が軍を引いて遁れ、知江州韓梠が城を棄てて去る。金人が大冶県より洪州に趨く。この月、京西の賊劉満が信陽軍を陥し守臣趙士負を殺す。盗が宿州に入り通判盛脩己を殺す。
- 十一月乙巳朔、金人が廬州を犯し守臣李会が城を以て降る。王善が叛き金に降るが金人がこれを執える。丁未、雑犯死罪を降し流以下の囚を釈すことを詔す。李綱の自便を聴す。宋斉愈の官を追復する。貴仲正が荊南兵馬鈐轄渠成を犯すがこれと戦いこれを斬る。戊申、金帥兀朮が和州を犯し守臣李儔が城を以て降るが通判唐璟は死す。己酉、張浚が関陝を出行する。兀朮が無為軍を陥し守臣李知幾が城を棄てて走る。壬子、太后が退いて虔州を保つ。江西制置使王子献が洪州を棄てて走る。丁巳、金人が臨江軍を陥し守臣呉将之が遁れる。戊午、孫悟らを遣わし金国軍前致書使に充てる。金人が洪州を陥し権知州事李積中が城を以て降る。撫・袁二州の守臣王仲山・王仲嶷が皆降る。淮の賊劉忠が蘄州を犯すが韓世清がこれを逆戦し破る。忠が舒州に入り通判孫知微を殺す。庚申、金人が真州を陥し守臣向子忞が城を棄てて去る。辛酉、太后が吉州に至る。壬戌、金人が建康府を犯し溧水県を陥し尉潘振が死す。癸亥、金人が太平州を陥す。主管歩軍司閭勍が西京より累朝の御容を奉じ至る。
- 京西制置使程千秋が敗走し仲遂(桑仲)が襄陽に拠る。十二月乙亥朔、張浚が承制で積石軍を廃す。丙子、帝が明州に至る。丁丑、江淮宣撫司準備将戚方が衆を擁して叛き鎮江府を犯し守臣胡唐老を殺す。辛巳、金人が常州を陥し守臣周杞が赤心隊官劉宴を遣わしこれを撃走する。広徳軍を陥し守臣周烈を殺す。劉光世が兵を引き南康軍に趨く。壬午、航海して兵を避けることを定議するが禁卒張宝らが行くを憚り乱を謀り、呂頤浩らに兵を伏せて宝ら十七人を執えこれを斬らせる。甲申、張浚が承制で涇原経略使曲端を威武大将軍宣撫処置使司都統制に拝命する。乙酉、兀朮が臨安府を犯し守臣康允之が城を棄てて走り、銭塘県令朱蹕が死す。己丑、帝が楼船に乗り定海県に次し行在諸軍に雪寒銭を給する。辛卯、范宗尹・趙鼎を明州に留め金使を候たせる。癸巳、帝が昌国県に次する。乙未、杜彦が潭州を犯し通判孟彦卿・趙民彦を殺す。金人が洪州を屠る。戊戌、金人が越州を犯し安撫使李鄴が城を以て降る。衛士唐琦が袖に巨石を蔵し金帥琶八を要撃するが克たず死す。郭仲荀が軍を棄て温州に奔る。庚子、温台への幸を移す。癸卯、黄潜善が英州で卒す。李成が滁州より兵を淮西に引く。