宋名臣言行錄外集卷六十七 孟厚

出自

  • 字は敦夫。洛陽の人。

伊川への入門と生活の乱れ

  • 和靖(尹焞)は言う。敦夫(孟厚)は伊川の門に来る前、王氏(王安石)の学を修め、科挙の学に特に精しかった。独処する一室は糞穢を治めず散らかったままであった。かつて伊川に書を献じたところ、伊川は「孟厚は説くところは初め似ているようだが、その後は事をしくじりがちだ」と評した。

尹焞・張繹を見習うようにとの勧め

  • ある日、伊川は敦夫に「あなたはなぜ尹焞・張繹に会わないのか、朋友の間ではこの二人と講学するのが最もよい、この三人はみな同年齢である」と語った。敦夫が和靖にまみえて「先生は私に二公に会うようお命じになりました。彦明(尹焞)が会いたいと思うような人物か、思叔(張繹)が会うまでもないような人物か、いかがですか」と尋ねると、和靖は「思叔に会う必要がないというその心こそが、焞(私)に会う必要がないという心なのだ」と答えた。

一室の乱雑さへの伊川の教え

  • 伊川はかつて学者たちに「孟厚は一室を整えないが、それが何の益になろうか、学問はこのようなことにあるのではない。仮に掃除して清潔にしたところで、人の心をさらに快くするだろうか」と語った。

伊川の葬儀への参列

  • 伊川の葬儀の際、門人たちは党禍を畏れてあえて参列しない者が多かったが、独り敦夫は尹焞・張繹・范棫・邵溥とともに参列し見送った。