宋名臣言行錄後集卷二十一 王存
出自と経歴
王存、字は正仲。潤州の人。進士第に及第。哲宗朝に官は尚書左丞に至った。
起居注の制度改革
起居注を修めることになった際、唐の貞観の起居郎・舎人の職事を復活させ、筆を執って宰相に随い殿上に入ることを乞うた。これを人々は良しとした。旧来の制度では左右史は日々便殿に侍していても、事を奏上しようとすれば必ず中書に禀告してその許可を待たねばならなかった。王存は対面の折にこの点に言及し、詔によって左右史が侍立の際は直ちに前に進み奏事することが許されるようになり、これが令として定められた。この制度は王存に始まる。
官制改革時の慎重な人材登用
官制が実施された際、皇帝は特に人材の登用に慎重であった。王存はこれによって、熙寧年間以来議論に連座して罪を得たり、誤って処分された者のうち、実情としては忠を尽くしていて大過の無い者については、その才を見て召し用いるよう請うた。その言葉は皇帝の意にかない、これ以降登用された者は非常に多かった。
大辟の刑をめぐる寛恕の主張
政府にあったとき、諸方から重大な死罪案件(大辟)が上申され、刑部が先例を援いて寛恕を請うても、都省がしばしば「情状酌量の余地無し」としてこれを却下していた。王存は「これは祖宗の制度である。有司が先例を援いて生かそうとしているのに、朝廷が先例を破ってまで殺そうとしてよいのか」と述べた。
平生の人柄
王存は日頃から慎み深く、過激な行いをすることはなかったが、守るべきところは確固として揺るがなかった。議論は平明で寛容であり、党派に偏ることがなかった。司馬光(温公)はかつて「万馬が並び駆ける中で足を止めることができるのは、王存であろう」と評した。曽子開の撰した墓誌を併せ用いる。