宋名臣言行錄後集卷十三 吳奎

出自と経歴

  • 吳奎、諡は文肅公。字は長文。濰州の人。五経科に挙げられ、さらに賢良方正の科にも挙げられ、仁宗・英宗・神宗に仕えて参政に至った。

若き日の勤勉

  • 若い頃、下級役人であった頃から、昼は公務を執り、夜は書を読んで眠らないことが二十余年に及んだ。(劉攽撰の墓誌)

内降の弊害を論じる

  • 初めて対策(策問への回答)に応じた際、宮中からの直接の恩賜(内降)が政治を蝕むことを極論した。諫官にあったときは、専ら側近の抑制に努めた。御史の中に事実でない事を上言する者があった際、詔によって誰から聞いたのかを問い質そうとしたが、呉奎は「御史は風聞に基づいて事を言うことを選び、朝廷はこれを用いて過失を正すのです。もしその選び方が不十分であれば、朝廷はこれを容認できないとしても、罪に問わないでおくのがよいでしょう。もし情報源の名を求めれば、以後、御史に告げる者はいなくなり、これは自ら耳目を塞ぐことになります」と述べ、皇帝はただちにこの追及を止めさせた。

契丹使節での節義

  • 契丹への使いに赴いた際、契丹側の群臣がその主君に尊号を加えることを議し、呉奎に賀を述べさせようとした。呉奎は自らの使命は職分の範囲内にあり、賀の儀は関わりのないことだとして赴かなかった。契丹の主はその節義を守る姿勢を畏れ、大いにこれを重んじた。

地震をめぐる進言

  • 神宗が政府(宰執)に地震の異変について問うと、曾公亮は「陰の気が盛んなのです」と答えた。皇帝が「何が陰にあたるのか」と問うと、曾公亮は「臣は君に対して陰、婦は夫に対して陰、夷狄は中国に対して陰であり、いずれも戒めるべきです」と答えた。皇帝が呉奎に問うと、呉奎は「ただ小人の党が盛んになっているだけです」と答え、皇帝は快く思わなかった。

韓琦の評

  • 韓琦(魏公)はかつて「呉奎(長文)には見識がある。天下がこぞって王安石を推し、必ず太平をもたらせると考えていたとき、長文だけは親しい者に『王安石は心が強く性格が狠(凶暴)で、大用すべきではない』と語った。後に果たしてその言葉の通りになった」と評した。