周書卷三十三 列傳第二十五 楊荐

楊荐

  • 楊荐、字は承略。秦郡寧夷の人。父の宝は昌平郡守。幼くして孤児となったが早くから名誉があり、廉謹で喜怒を色に出さなかった。爾朱天光に従い関に入り群賊を討ち高邑県男に封ぜられた。文帝が夏州に臨むと帳内都督となり、侯莫陳悦平定後、洛陽に赴き魏孝武帝から文帝への関西大行台任命を請い、直閤将軍。馮翊長公主の縁組を取り持ち、孝武帝の西遷にも文帝の意を伝えて賛成させ、長史宇文測とともに関門で孝武帝を迎え、清水県子に進爵。大統元年蠕蠕との和親、楊寛と共に結婚の使者となり侯に進爵。魏文帝の郁久閭皇后崩御後の再婚交渉では、先の使者趙善が蠕蠕の変心を懼れて引き返す中、楊荐は黄金十斤・雑綵三百疋を持って赴き、蠕蠕の背信を責めつつ結婚の意を説き感悟させ再交渉を成立させた。
  • 侯景の帰附時に鎮遏を命じられたが景の翻意を察して撤退を進言、後に景は反乱した。十六年、東討に伴う蠕蠕の乗虚を恐れ再度結好の使者となり、使持節・驃騎大将軍・開府儀同三司・侍中に進む。孝閔践阼で御伯大夫、姚谷県公。突厥との結婚交渉で、可汗の弟・地頭可汗阿史那庫頭が斉と通じ婚約破棄と使者の斉への引き渡しを図った際、楊荐は正色でこれを責め慷慨し涙を流したため、可汗は「相疑うことなし、東の賊を平らげてから娘を送る」と改心した。東討を請い使命を全うした功で大将軍に遷り、保定四年再び突厥への聘礼、小司馬・大司徒代行を経て陳公純らの突厥での逆女(皇后の迎え)に従い南安郡公に進爵。天和三年梁州総管に遷り、後病で卒した。