春秋左傳事類始末支離之卒(器物・列国興廃を付す)(支離之卒(附録))

支離之卒

  • 魯哀公二十五年、衛の出公は「支離」という編成の部隊を率いて衛に攻め入った。

器物

本文中に登場する器物・用具の名を、原注に従って略解する。

  • 蝥弧(旗の名)/皐比(虎の皮)/金僕姑(矢の名)/絰皇(柩前に置く飾り、原注に欠字あり詳細不明)
  • 鞶鑑(鏡を飾りとして付けた帯)/丁寧(鉦の類)/笠轂(覆いの無い兵車で、身分ある者が寒暑を防ぐため車輪の轂のそばに立って笠を差しかけさせる用具)
  • 軘車(兵車の一種)/窒皇(寝門のあたり、原注に欠字あり詳細不明)/佐車(副えの車)/紀甗(玉製の甑、「紀」と名付けられたもの)
  • 賦輿(兵車の一種)/巢車(物見台を上に備えた車)/跗注(軍装の一種)/頌琴(葬送に用いる雅な琴)
  • 畚挶(土を運ぶ籠と担い棒)/旌夏(大きな旗)/廣車(兵車の一種)/彞器(鐘・鼎などの祭器)
  • 宗器(鐘・磬などの宗廟の祭具)/武軍(軍営の垣)/大蔡(占いに用いる大亀)/寢戈(身辺に置く武器)
  • 長轂(兵車の一種)/大屈(弓の名)/靈姑銔(旗の名)/復陶(羽で作った衣)
  • 餘皇(舟の名)/無射(鐘の名、十二律の一つ)/楄柎(棺の中に敷く牀)/僂句(亀の名)
  • 啓服(馬の名)/龍輔(玉の名)/肅爽(馬の名)/繁弱(弓の名)
  • 少帛(雑色の帛の旗)/大吕(鐘の名、十二律の一つ)/闕鞏(鎧の名、地名に由来)/沽洗(鐘の名、十二律の一つ)
  • 昭兆(亀の名)/羽毛(羽で作った旗)/葱靈(覆いのある輜車)/屬辟(棺を重ねる数)
  • 大器(鐘・鼎などの祭器)/屬鏤(剣の名)/衷甸(一本轅の卿の乗る車)

列國興廢

春秋に登場する主要な国々について、建国から滅亡までの世数・年数・滅ぼした国をまとめる。

  • :后稷より27世、幽王四十九年(己未)に春秋の記述に入り、敬王三十九年(庚申)まで13王を経て春秋は終わる。その後さらに9王を伝え、東西に分裂した期間を合わせて計226年、秦に併合された。
  • :周公より15世、隠公元年に春秋に入り、哀公十四年まで12君を経て春秋は終わる。その後さらに8君を伝え計200年、楚に滅ぼされた。
  • :太公より13世、僖公九年に春秋に入り、簡公四年まで14君を経て春秋は終わる。その後さらに3君を伝え95年、田氏に代わった。田氏はそれより7世・171年を伝えて秦に滅ぼされ、諸国のうち最も遅くまで存続した。
  • :叔虞(成王の封)より13世、鄂侯二年に春秋に入り、定公三十一年まで18君を経て春秋は終わる(この間、四世を経て曲沃の武公が晋を併合した)。その後さらに6君を伝え105年、魏・韓・趙の三国に滅ぼされた(韓が最初に滅び、趙が次ぎ、魏がその次)。
  • :秦仲(周の宣王が大夫とし、その勢いが強まった。孫の襄公の代に初めて諸侯となる)より4世、文公四十四年に春秋に入り、悼公十年まで15君を経て春秋は終わる。その後さらに15君を伝え266年、始皇帝が天下を統一した(統一はその二十六年目。秦仲からここまで通算625年)。
  • :熊繹(成王の時に封ぜられる)より18世、武王十九年に春秋に入り、恵王八年まで13君を経て春秋は終わる。その後さらに12君を伝え258年、秦に滅ぼされた。
  • :微子(武王が朝鮮に封じ、成王が殷の後を継がせた)より14世、穆公七年に春秋に入り、景公三十六年まで13君を経て春秋は終わる。その後さらに6君を伝え197年、斉・魏・楚に滅ぼされた。
  • :康叔(成王の封)より12世、桓公十三年に春秋に入り、出公十二年まで15君を経て春秋は終わる。その後さらに14君を伝え、爵位は侯から君へと降格しつつ計263年、秦に併合された。斉より後まで存続したとはいえ、実勢はきわめて衰えていた。
  • :胡公滿(武王の封)より12世、桓公二十三年に春秋に入り、緡公二十一年まで12君を経て春秋は終わる。その後3年で楚に滅ぼされた。
  • :蔡叔(武王の時に封ぜられる)より11世、宣侯二十八年に春秋に入り、成侯十年まで12君を経て春秋は終わる。その後さらに3君を伝え34年、楚に滅ぼされた。
  • :振鐸(武王の時に封ぜられる)より11世、桓公三十五年に春秋に入り、伯陽十五年まで15君を経る。春秋が終わる6年前に宋に滅ぼされた。
  • :桓公友(宣王の時に封ぜられる)より3世、荘公二十二年に春秋に入り、声公二十年まで16君を経て春秋は終わる。その後さらに5君を伝え104年、韓に滅ぼされた。
  • :召公(周・呂と共に武王が封じた)より14世、穆侯七年に春秋に入り、献公十二年まで17君を経て春秋は終わる。その後さらに13君を伝え259年、秦に滅ぼされた。
  • :太伯より19世、寿夢二年に初めて経に見え、魯の哀公二十二年まで7君を経て、夫差の代に滅ぼされた。

春秋の諸侯で名や字が知られる者は170余国あるが、すべてを考証することはできない。ここに挙げたのはみな大国であり、その始終を知っておくべきものである。諸国のうち呉が最も遅く興り、曹が最初に滅び、陳がこれに次ぎ、呉もまたこれに次いで滅んだ。春秋の後は蔡が最初に滅び、斉がこれに次ぎ(田氏に代わられた形で)、鄭・晋・宋・魯・周・楚・燕・衞の順に滅んだ。