春秋左傳事類始末丘甲(周礼、九夫を井とし四井を邑、四邑を丘とす。丘十六井にて戎馬一疋・牛三頭を出す。四丘を甸とす)(丘甲)
魯成公元年(前590年)、斉との紛争に備えるため、魯が丘の単位で軍役・軍需を課す丘甲の制を定めたことを述べる1件のみの記事。史論はない。
年表(1件)
- 魯成公元年(前590年)斉との紛争に備え、丘の単位で軍役を課す丘甲の制を定めた
- 篇目の注記によれば、周の制度では九夫で井、四井で邑、四邑で丘とし、丘(十六井)から戎馬1匹・牛3頭を出す定めであったが、四丘を甸(六十四井)とし、甸から兵車1乗・戎馬4匹・牛12頭・甲士3人・歩卒72人を出すのが本来の甸賦であるところ、魯はこれを丘の単位で負担させた。
魯成公元年(前590年)
- 斉との紛争に備えるため、丘甲(丘の単位で軍役・軍需を課す制度)を定めた。