春秋左傳事類始末弑逆二十六回(臣と称して弑す十七・人と称して弑す三・国と称して弑す四)(弑君二十六)

『春秋』経文および左伝に記された臣下による主君殺害(弑逆)の事件を、魯隱公四年(前719年)の衛の州吁による桓公弑逆から魯哀公六年(前489年)の斉の陳乞による晏孺子弑逆まで年代順に列挙する。経文に見える25年ぶんに加え、左伝のみに見える鄭・楚の弑逆事件も補足として載る。史論はない。

年表(25件)
  • 原題の注記によれば、経文における弑逆の記され方には「(臣下の名を挙げて)弑す」と記すもの17件、「人(その国の者)弑す」と記すもの3件、「国名のみを主語に弑す」と記すもの4件の別がある。

魯隱公四年(前719年)

  • 衛の州吁が主君完(桓公)を弑した。

魯隱公十一年(前712年)

  • 隠公が薨去した。左伝によれば、公子翬(羽父)が刺客を送り、寪氏の家で隠公を弑させたという。

魯桓公二年(前710年)

  • 宋の華督(宋督)が主君與夷(殤公)を弑した。

魯莊公八年(前686年)

  • 斉の公孫無知が主君諸兒(襄公)を弑した。

魯莊公十二年(前682年)

  • 宋の南宮萬が主君捷(閔公)を弑した。

魯閔公二年(前660年)

  • 閔公が薨去した。左伝によれば、共仲(慶父)が卜齮に命じ、武闈で閔公を弑させたという。

魯僖公十年(前650年)

  • 晋の里克が主君卓(卓子)を弑した。

魯文公元年(前626年)

  • 楚の世子商臣が父の成王(頵)を弑した。

魯文公十四年(前613年)

  • 斉の公子商人が主君舎を弑した。

魯文公十六年(前611年)

  • 宋人が主君杵臼(昭公)を弑した。

魯文公十八年(前609年)

  • 斉人が主君商人(懿公)を弑した。
  • 冬、莒が主君庶其を弑した。

魯宣公二年(前607年)

  • 晋の趙盾が主君夷皐(霊公)を弑したと記された。実際に手を下したのは趙穿だが、史官は正卿の趙盾に責を帰した。

魯宣公四年(前605年)

  • 鄭の公子帰生が主君夷(霊公)を弑した。

魯宣公十年(前599年)

  • 陳の夏徴舒が主君平国(霊公)を弑した。

魯成公十八年(前573年)

  • 晋人が主君州蒲(厲公)を弑した。

魯襄公二十五年(前548年)

  • 斉の崔杼が主君光(荘公)を弑した。

魯襄公二十六年(前547年)

  • 衛の寧喜が主君剽(殤公)を弑した。

魯襄公二十九年(前544年)

  • 呉の門番が呉王餘祭を弑した。

魯襄公三十年(前543年)

  • 蔡の世子般が主君固(景侯)を弑した。

魯襄公三十一年(前542年)

  • 莒人が主君密州(犂比公)を弑した。

魯昭公十三年(前529年)

  • 楚の公子比が主君虔(霊王)を弑した。

魯昭公十九年(前523年)

  • 許の世子止が主君買(悼公)を弑した。

魯昭公二十七年(前515年)

  • 呉が主君僚を弑した。公子光が刺客専諸に命じたものである。

魯定公十三年(前497年)

  • 薛が主君比を弑した。

魯哀公六年(前489年)

  • 斉の陳乞が主君荼(晏孺子)を弑した。

左氏による補足(経文に見えないもの)

  • 左伝には、鄭の子駟が僖公を弑した事件、楚の公子囲(後の霊王)が郟敖を弑した事件も記されているが、いずれも経文には記載がない。