春秋左傳事類始末小邾の射、句繹を以て来奔する(小邾射以句繹來奔)

小邾の射が句繹の地を携えて魯に亡命し、正式な盟約ではなく子路個人の誓いだけを求めたが、子路は臣としての筋を通さない相手に応じることはできないとして固辞した一件。魯哀公十四年(前481年)にあたる。

年表(1件)

魯哀公十四年(前481年)

  • 小邾の射が句繹の地を携えて魯に来奔し、「子路(季路)に自分と誓わせてくれれば、正式な盟約は不要だ」と申し出た。魯は子路を遣わそうとしたが、子路はこれを固辞した。
  • 季康子は冉有を通じて子路に「千乗の国である魯の盟約を信じずに、あなた個人の言葉を信じるというのだから、それに応じるのは何の不名誉にもならないだろう」と説かせたが、子路は「もし魯が小邾との間で事を構えることになれば、その城下で死ぬ覚悟はある。しかし彼(射)は臣としての筋を通さずに自分の要求だけを通そうとしている。それを義とみなすことは私にはできない」と答え、応じなかった。