春秋左傳事類始末陳の轅頗、鄭に出奔する(陳轅頗出奔鄭)
陳の司徒・轅頗が公女輿入れの費用調達で余った賦税を私用の器に鋳造したため国人に追放され、鄭へ出奔した一件。道中で同族の轅咺から食糧を受けた際の問答が添えられる。魯哀公十一年(前484年)にあたる。
年表(1件)
- 陳国某年(魯哀公十一年、前484年)陳の轅頗が賦税の私用鋳造を国人に咎められ鄭に出奔する
陳国某年(魯哀公十一年、前484年)
- 夏、陳の轅頗が鄭に出奔した。以前、轅頗は司徒として封田に賦税を課し、公女の輿入れの費用に充てたが、余った分を自分のための大きな器に鋳造したため、国人に追放され出奔することとなった。
- 道中で喉が渇いたとき、同族の轅咺が稲の醴(甘酒)や粱の糗(干し飯)、腵脯(干し肉)を差し出した。轅頗が喜んで「よくこれほど用意していたものだ」と言うと、咺は「器を作ったときからすでに準備していました」と答えた。「ならばなぜ私を諫めなかったのか」と問うと、「諫めれば私の方が先に追い出されると恐れたからです」と答えた。