春秋左傳事類始末邾の黒肱、濫を以て来奔する(邾黒肱以濫來奔)

身分の低い邾の黒肱が濫の地を伴って魯に亡命したことを『春秋』が名を記して記録した理由を、君子が斉豹ら他の事例とあわせて論じた1年の出来事。

年表(1件)

魯昭公三十一年(前511年)

  • 冬、邾の黒肱が濫の地をもって魯に亡命してきた。身分は低いが、土地を伴っての亡命であったため『春秋』はその名を記した。

史論(君子曰)

  • 君子は「名を慎まねばならないのはこの通りだ、身分が低くとも土地を得て背けば必ずその名を記す、それが不義への戒めである」と論じた。衛の司寇であった斉豹は嗣大夫でありながら不義を行ったため『春秋』は「盗」と記した。邾の庶其・莒の牟夷・邾の黒肱は身分は低いが土地を伴って亡命したため名を記された。これは、危険を冒し高位の者を脅かしてでも功名を求める者への戒めであると同時に、逆に名声を求めずとも記録されることを示し、あるいは隠そうとしてもかえって名が明らかになることで不義を懲らしめる意図がある、と論じた。斉豹の一件は「盗」と記し、三人の叛臣は名を記して不義を懲らしめ、悪を数え上げ無礼を戒めるのが『春秋』の善き記録法である。すなわち「春秋の記述は簡潔でありながら意味は明らかであり、婉曲でありながら筋道は通っている、上に立つ者に是非を明らかにさせ、善人を励まし淫らな者を恐れさせる」ゆえに君子はこれを貴ぶ、と結んだ。