春秋左傳事類始末龍、絳郊に見る(龍見于絳郊)
絳の郊外に龍が現れたことを機に、魏献子が蔡墨(史墨)に龍や五行の官の由来を問い、豢龍氏・御龍氏の故事や社稷五祀の起源が語られた1年の出来事。
年表(1件)
- 魯昭公二十九年(前513年)絳に龍が現れ、蔡墨が魏献子に龍官と五行の官の故事を語る
魯昭公二十九年(前513年)
- 秋、龍が絳の郊外に現れた。魏献子が蔡墨(史墨)に「虫の中で龍ほど知恵のあるものはない、生け捕りにできないからそう言われる、本当か」と問うと、蔡墨は「人が知らないだけで龍が特別賢いわけではない、昔は龍を飼う官があった」と答えた。
- 蔡墨は続けて、飂叔安の子孫・董父が龍を好み、その嗜好を察して養い舜に仕えさせたため舜より豢龍氏の姓を賜り鬷川に封じられたこと、夏の孔甲の代に劉累が豢龍氏に龍飼育を学び孔甲に仕えて御龍氏の姓を賜ったが、雌龍が死んだ際に醢(塩漬け)にして孔甲に食べさせてしまい、後にそれを知られることを恐れて魯県に逃げたことなど、龍を飼う官の歴史を語った。
- 献子が「今なぜ龍がいないのか」と問うと、蔡墨は「物にはそれぞれ担当の官があり、官がその方(つとめ)を修めていれば物は現れるが、官が廃れれば物は隠れ育たなくなる、五行の官(木正の句芒・火正の祝融・金正の蓐収・水正の玄冥・土正の后土)はそれぞれ姓を受け上公に封じられ貴神として祀られてきたが、龍は水物であり水官が廃れたため今は生け捕りにできない」と述べ、『周易』の乾の姤(巽下乾上)・同人(離下乾上)・大有(乾下離上)・夬(乾下兌上)・坤(坤下坤上)・坤の剥(坤下艮上)の各卦に見える「潜龍勿用」「見龍在田」「飛龍在天」「亢龍有悔」「見羣龍无首吉」「龍戦于野」の語を引いて、龍が常に姿を現すものでないことを説明した。
- 献子がさらに「社稷五祀は誰の子孫の官か」と問うと、蔡墨は少皞氏の四叔(重・該・修・熙)が金木水の官を務め窮桑の地を治めたこと、顓頊氏の子・犂が祝融となり共工氏の子・句龍が后土となったこと、烈山氏の子・柱が稷として夏以前に祀られ、周の始祖・棄も稷として商代以来祀られてきたことを説明した。