春秋左傳事類始末晋、祁氏・羊舌氏を滅ぼす(晉滅祁氏羊舌氏)

祁盈が祁勝を捕らえたことを機に晋侯が祁氏・羊舌氏を滅ぼし、魏献子が両氏の田を分けて県とし人材を登用した1年の出来事。仲尼はその公正な人選を賞した。

年表(1件)

魯昭公二十八年(前514年)

  • 晋の祁勝と鄔臧が互いに妻を通じさせていた(換妻)。祁盈がこれを捕らえようとし司馬叔游に相談すると、叔游は『鄭書』を引き「正しい者を憎み悪を醜とすれば徒党が増え無道の風潮が立つ、あなたは免れないだろう」と諫めたが、祁盈は「祁氏の家中の不祥事を自ら討つのに何の憚りがあるか」と聞かず祁勝を捕らえた。祁勝は荀躒に賄賂を贈り、荀躒が晋侯に言上したため、晋侯はかえって祁盈を捕らえ、六月、祁盈と楊食我(祁盈の党で乱に加担した)を殺し、祁氏・羊舌氏を滅ぼした。
  • 発端として、叔向はかつて申公巫臣氏の娘を娶ろうとしたが、母は同族の娘を娶らせようとし、叔向が「私の母方は人数は多いが優れた者が少ない、舅氏の轍は踏みたくない」と言うと、母は「子霊(巫臣)の妻は三人の夫・一人の君・一人の子を死なせ一国と両卿を滅ぼした、懲りて当然だ、美しすぎるものには必ず大きな災いが伴う」と述べ、有仍氏の娘・玄妻の故事(絶世の美女が生んだ伯封が貪欲で豕心を持ち、有窮の后羿に滅ぼされた話)を引いて、尤物は人を動かし徳義がなければ必ず禍を招くと説いた。叔向は恐れて娶らなかったが、平公が強いて娶らせ、生まれたのが伯石である。伯石誕生の際、姑がその泣き声を聞いて「豺狼の声だ、狼子は野心を持つ、この子でなければ羊舌氏は滅びない」と言い、二度と見ようとしなかった。
  • 秋、晋の韓宣子が卒し、魏献子が政を執ると、祁氏の田を分けて七県とし、羊舌氏の田を分けて三県とし、司馬弥牟・賈辛・司馬烏・孟丙・楽霄・趙朝・僚安らをそれぞれ大夫に任じた。賈辛・司馬烏は王室に功があったため、知徐吾・趙朝・韓固・魏戊は職を全うした庶子として賢を以て挙げられた。魏子が成鱄に「私と戊(魏献子の子)が県を得た、人は私を偏頗と思うだろうか」と問うと、成鱄は「戊の人となりは遠くにあっても君を忘れず近くにあっても人を偪らず、利を思えば義を思い、約を守り徇わない、県を与えても差し支えない」と答え、武王が同姓十五国・異姓四十国を封じた例を挙げ、挙用は善によるのであって親疎を問わないと述べた。
  • 賈辛が任地に赴く際、魏子は昔叔向が鬷蔑(鬷明)を一言で見抜いた故事や、賈大夫が醜い妻を娶り三年黙っていたが射で雉を得て妻が初めて笑った故事を引き、「才は活かさねばならない、お前は今は目立たぬが功があるので用いた、慎んで力を尽くせ」と諭した。
  • 冬、梗陽の人の訴訟を魏戊が裁けず宗主に上申したところ、宗主は女楽を賄賂として献じようとした。魏戊は閻没・女寛に諫言を頼み、二人は朝廷から退いて庭で待ち、食事の間に三度嘆息して見せ、「小人にわずかな酒肴すら足りるか案じ、また食べ過ぎを恐れて嘆いた、小人の腹を以て君子の心を推し量れば、ほどほどで満足すべきだ」と諭し、魏献子は梗陽人の賄賂を辞退した。

  • 仲尼は魏献子の人選を「近くの親族も遠くの賢者も逃さず挙げており義にかなう」と評し、賈辛への訓戒については「詩に『天命に永く適うことを求めれば自ら多くの福を得る』とあるのは忠のことだ」と評し、この挙用と訓戒により魏氏は晋国で長く後嗣を保つだろうと述べた。