春秋左傳事類始末楚の子常、郤氏を滅ぼす(楚子常滅郤氏)
費無極の讒言により令尹子常が郤宛(子悪)一族を滅ぼしたが、国中の非難を受け、沈尹戌の諫言を容れて費無極らを誅殺し謗りを鎮めた1年の出来事。
年表(1件)
- 魯昭公二十七年(前515年)子常が費無極の讒言で郤氏を滅ぼし、後に無極を誅殺
魯昭公二十七年(前515年)
- 楚の郤宛は正直で人望が篤かった。鄢将師(右領)は費無極と結んでこれを憎んでいた。令尹の子常は賄賂を好み讒言を信じやすかったため、費無極は子常に取り入り、郤宛(子悪)に「令尹があなたの家で酒を飲みたがっている」と偽り伝え、同時に子常には「郤宛があなたを歓待したいと言っている、武具を差し出せば選んで受け取るだろう」と唆した。饗宴の日、門の左に幕を張って武具を隠させ、無極は子常に「郤宛があなたに不利を図っている、武具が門にある」と告げた。子常が確かめると武具があり、鄢将師を呼んで攻撃を命じ、郤氏の屋敷を焼こうとした。子悪はこれを知って自殺した。
- 国人は焼かれることを拒み、令尹は「焼かなければ郤氏と同罪とする」と命じたが、人々はわずかな菅や藁を投げ入れるだけで実際には焼かなかった。令尹はやむなく郤氏を炙り殺し、族党を尽く滅ぼし、陽令終・その弟の完・佗、晋陳らも殺した。晋陳の一族は国中で「鄢氏・費氏は王を専らにし楚国を弱め王室を軽んじ、王と令尹を利用して私腹を肥やしている、令尹はすっかり信じ込まされている、この国はどうなるのか」と叫び、令尹はこれを苦にした。
- 楚では郤宛の一件についての非難がやまず、進物を持参する者すら令尹を謗った。沈尹戌は子常に「左尹と中厩尹は罪も分からぬまま殺され、非難は今も止まない、あなたは惑わされている、仁者は謗りを隠すために人を殺すことすらしない、まして謗りを招くために殺すとは道理に合わない」と諫めた。さらに「費無極は楚の讒人だと国中が知っている、朝呉を逐い蔡侯朱を追放し、太子建を失わせ連尹伍奢を殺し、王の耳目を塞いできた、平王の温良恭倹の徳が歴代の王に勝りながら諸侯の心を得られなかったのも無極のせいだ、今また三人の無実の者を殺して大きな謗りを招いている、あなたにも累が及ぶだろう、賢者は讒人を除いて自ら安んじるものだ、あなたは讒人を愛して自ら危うくしている、大いに惑っている」と説いた。子常は「これは私の罪だ、良く図ろう」と答え、九月、費無極と鄢将師を殺しその一族を滅ぼして国に釈明し、謗言はようやくやんだ。