春秋左傳事類始末斉侯田猟し晏子和同を論じる(齊侯田晏子論和同)

斉侯(景公)の狩りでの虞人との応対を孔子が評した逸話に続き、梁丘拠との違いを問われた晏子が羹や音楽の喩えで「和」と「同」の違いを説き、さらに不死を望む公を諭した1年の出来事。

年表(1件)

魯昭公二十年(前522年)

  • 斉侯(景公)が沛で狩りをした際、虞人(猟場番人)を弓ではなく通常の招請の仕方で呼んだところ進み出なかったため捕らえようとした。虞人は「先君の狩りでは、大夫は旃(はたじるし)で、士は弓で、虞人は皮冠で招くのが慣わしだった。私は皮冠を見なかったので進み出なかった」と釈明し、公はこれを赦した。孔子はこの応対を評し「道を守ることは官職の分を守ることに及ばない」と述べ、これを是とした。
  • 斉侯が狩りから帰り、晏子が遄台で侍していたところ、梁丘拠(子猶)が馬を馳せて参上した。公が「拠だけが私と和している」と言うと、晏子は「拠もまた同にすぎない、どうして和と言えようか」と答えた。
  • 公が和と同の違いを問うと、晏子は羹を作る喩えで答えた。水・火・酢・塩辛・梅で魚肉を煮て薪で炊き、料理人が味を調え、足りない味を補い、過剰な味を減らす、それが和である。君臣も同じで、君が可としても否となる面があれば臣がその否を献じて可を成し、君が否としても可となる面があれば臣がその可を献じて否を除く、そうして政治は調和し民に争う心がなくなると説いた。『詩経』の句を引いて先王が五味・五声を調えて心を平らかにし政を成したことを述べ、声も味と同様に一気・二体・三類・四物・五声・六律・七音・八風・九歌が互いに補い合うことで成り立つとした。
  • 晏子はさらに、清濁・大小・長短・急緩・哀楽・剛柔・遅速・高低・出入・周疎が互いに調和することで君子は心を平らかにでき、心が平らかであれば徳も調和すると述べ、『詩経』の「徳音に瑕なし」の句を引いた。これに対し梁丘拠は君の可否にただ同調するだけで、水に水を足すような同にすぎず、誰もそれを味わえない、琴瑟の音を一色に揃えるような同では誰も聴くに堪えないと批判した。
  • 酒宴の折、公が「昔から人が死なずにいたなら、その楽しみはどれほどだろうか」と尋ねると、晏子は「昔から人が死ななければ、それは古人の楽しみのままで、公の出る幕はなかったはずだ」と答え、この地にはかつて爽鳩氏、季萴、逢伯陵、蒲姑氏が相次いで居し、その後太公が受け継いだことを挙げ、もし誰も死ななければ爽鳩氏の楽しみのままであり、公が望むような楽しみは訪れなかったはずだと諭した。