春秋左傳事類始末晋の韓起、鄭に聘し環を求める(晉韓起聘鄭求環)

晋の韓起(宣子)が鄭で玉環の対を求めたが、子産は大国への追従より礼を守ることを重んじて拒み、商人との盟約の由来を説いて説得した経緯を描く。韓起は求めを諦め、送別の宴で鄭の忠誠を讃えた。

年表(1件)

魯昭公十六年(前526年)

  • 晋の韓起(宣子)が鄭を訪れた。宣子は玉の環を一つ持っていたが、対をなすもう一つが鄭の商人の手にあった。宣子は鄭伯にこれを求めたが、子産は「これは官府の所蔵品ではなく、寡君も関知しないものです」と断った。
  • 子大叔・子羽は子産に「韓子の求めはさほど大きなものではなく、晋との関係を損ねるべきではない。讒言する者が現れて両国の間を裂けば取り返しがつかない、一つの環を惜しんで大国の恨みを買うことはないのでは」と進言した。子産は「私は晋を軽んじて二心を抱いているのではない、誠実に事えようとするからこそ与えないのだ。国を治める上で、大国に事え小国を慈しむことより、礼を欠いて自らの立場を危うくすることの方が問題だ。大国の求めに何でも応じれば、応じる・応じないの区別だけで罪の大小が生まれ、際限のない要求には応じようがない。もし私が鄙しい行いをすれば、私自身が立場を失う。仮に韓子が公の使命の中で私的に玉を求めるようなら、それは貪欲であり、罪深いことだ。玉を一つ出して二つの罪(求める側と与える側)を生むより、私はこのまま職分を守る」と述べ、拒否した。
  • 韓起は商人から直接買おうとしたが、商人は「必ず君主・大夫に申し出るのが慣わしです」と述べ、韓起はやむなく子産に改めて願い出た。
  • 子産は「昔、我が桓公は商人とともに周から移り住み、共にこの地を開墾して今に至った。互いに『あなたは私に背かず、私はあなたに強要しない、売買を邪魔しない、あなたの利益に私は関知しない』との盟約があり、これに拠って今日まで信頼を保ってきた。今あなたが好誼をもって訪れながら、商人から強引に奪えと言うのは、この盟約を破るよう我が国に教えるに等しい。それは道理に合わない。もし玉を得て諸侯の信を失うなら、大国もそのようなことは望まないはずだ」と述べ、拒絶の意を伝えた。
  • 韓起はついに玉を求めるのをやめ、「私は不明にも玉を求めて二つの罪を招くところだった、謹んで辞退する」と述べた。
  • 夏四月、鄭の六卿が宣子を郊外で送別する宴を開き、それぞれ『詩経』の句を賦して意を通わせた。子齹は「野有蔓草」を、子産は「羔裘」を、子大叔は「褰裳」を、子游は「風雨」を、子旗は「有女同車」を、子桞は「蘀兮」を賦し、宣子はそれぞれに応えて鄭の忠誠と将来性を讃え、馬を贈った。宣子は個別に子産にも玉と馬を贈り、「あなたが私に玉を諦めさせてくれたことで、私は死を免れた」と礼を述べた。