春秋左傳事類始末叔向、刑を制するに親を隠さず(叔向制刑不隠於親)
平丘の会に際し晋の羊舌鮒(叔魚)が衛から不当に財物を求めた一件と、翌年、邢侯・雍子の田地争いで叔魚が賄賂を受け不公正な裁定を下し邢侯に殺された一件を描く。叔向は肉親の叔魚の罪を隠さず断じ、仲尼はこれを義と評した。
年表(2件)
- 魯昭公十三年前529年羊舌鮒が衛から不当に財物を求め、叔向が羹のみ受け錦を返す
- 魯昭公十四年前528年叔魚の不正な裁定に邢侯が怒り叔魚・雍子を殺害、叔向が三者同罪と裁く
魯昭公十三年(前529年)
- 秋、晋は邾の南で四千乗の軍を演習し、羊舌鮒(叔魚)が司馬を代行して諸侯を平丘に集めた。軍は衛の地に宿営し、叔鮒は衛から不当に財物を求め、部下に草刈りを乱させた。衛人は屠伯を遣わし叔向に羹と一篋の錦を贈り、「諸侯は晋に背く気はなく、衛は晋の膝元にありながらどうして異心を抱きましょう。ただ草刈りの者たちの狼藉を止めていただきたい」と訴えた。
- 叔向は羹だけ受け取り錦は突き返し、「晋には羊舌鮒という貪欲極まりない者がおり、いずれ身を滅ぼすだろう。もし君命として贈るというなら受けよう」と述べた。衛の客はそのまま帰り、狼藉はまだ止まぬうちに禁令が出た。
魯昭公十四年(前528年)
- 晋の邢侯と雍子が鄐の田地をめぐって長年争い決着がつかなかった。士景伯が楚へ赴いていたため、叔魚(羊舌鮒)が代わって裁定した。韓宣子の命で旧訴を裁くと、本来は雍子に非があったが、雍子は娘を叔魚に差し出して贈賄し、叔魚は邢侯を有罪とする裁定を下した。邢侯は怒り、朝廷で叔魚と雍子を殺害した。
- 韓宣子が叔向にこの罪をどう裁くべきか尋ねると、叔向は「三人とも同罪だ。生者には刑を、死者には屍を晒すのが妥当」と答えた。「雍子は自らの罪を知りながら賄賂で正義を買った、叔魚は裁きを売った、邢侯はほしいままに人を殺した。罪はいずれも同じで、悪を隠して美を装うのは昏、貪って職務を汚すのは墨、人殺しを憚らぬのは賊にあたる。夏書にいう『昏・墨・賊は死刑』は皋陶の刑法であり、これに従うべきだ」と述べた。
史論(仲尼)
- 仲尼は「叔向は古の正直の遺風を体現した人物だ。国を治め刑を定めるにあたり、肉親であっても隠さず、三たび叔魚の悪を数え上げて減刑しなかったのは義というべきだ」と評した。「平丘の会で叔魚の収賄を暴いて衛国に寛大な扱いをもたらし、魯の季孫の一件では季孫の欺瞞を指摘しつつ魯には寛大に接し、邢侯の獄では叔魚の貪欲を明らかにして刑書を正した。三つの言葉で三つの悪を除き三つの利益をもたらし、肉親を殺してなお名声を高めたのはまさに義そのものだ」と結んだ。