春秋左傳事類始末斉衛鄭、晋に如きて嗣君に朝す(齊衛鄭如晉朝嗣君)

鄭の簡公薨去を経て、斉侯・衛侯・鄭伯が晋の新君に朝見した顛末を描く。子産は服喪を理由に宴席を辞退して礼を守り、晋侯と斉侯の投壺の席では中行穆子と伯瑕が言葉の応酬を交わす。

年表(1件)

魯昭公十二年(前530年)

  • 三月、鄭の簡公が薨去した。夏、斉侯・衛侯・鄭伯が晋を訪れ、新君(平公の後継)に朝見した。晋侯は諸侯をもてなす宴を開いたが、子産は鄭伯を介添えし、鄭が服喪中であることを理由に宴席への参加を辞退し、喪が明けてから改めて命に従いたいと申し出た。晋人はこれを礼にかなうとして許した。
  • 晋侯は斉侯を宴でもてなし、中行穆子(荀呉)が投壺(矢を壺に投げる遊戯)で介添えを務めた。晋侯が先に矢を投げ「酒は淮水のごとく、肉は坻のごとく豊かにあれ、寡君(晋侯)がこれに中たれば諸侯の師となろう」と唱えて的中させると、斉侯も「酒は澠水のごとく、肉は丘陵のごとくあれ、寡人がこれに中たれば君に代わって興ろう」と応じて的中させた。
  • 晋の伯瑕は穆子に「言葉を誤った。晋はすでに諸侯の師なのに投壺の勝敗如何で決めるかのように言ったのはまずい。斉侯はまだ幼く、いま帰せば二度と来ないだろう」と指摘した。穆子は「我が軍は強く士気も高い、今も昔と変わらぬ。斉に何ができようか」と応じた。公孫傁が「日も暮れ君も疲れました、そろそろお開きに」と進言し、斉侯を送り出した。