春秋左傳事類始末鄭の子産、郷校を毀たず(鄭子産不毁鄉校)

鄭の人々が郷校に集まり政治を論じる様子を見て然明が取り壊しを提案したが、子産は民の議論を為政の師とし、威圧より善政による怨みの緩和を説いて拒み、孔子もこれを聞いて子産の仁を認めた逸話。

年表(1件)

魯襄公三十一年(前542年)

  • 鄭の人々は郷校に集まって政治を論じ合っていた。然明が子産に「郷校を取り壊してはどうか」と尋ねると、子産は「なぜそんなことをする。人々が朝夕そこに集まって政治の善し悪しを議論するのは、彼らが良いと言うことは実行し、悪いと言うことは改めればよい、いわば私の師だ。どうして壊す必要があろう。誠実に善政を行えば怨みは減ると聞くが、威圧によって怨みを防ぐとは聞いたことがない。威圧すれば一時は止められようが、それはちょうど川を堰き止めるようなもの、大きく決壊すれば多くの人を傷つけ、私にはもう救いようがない。それよりも少しずつ水を流し出し、道を通しておく方がよい、私はその言葉を聞いて薬とするのだ」と答えた。然明は「私(蔑)は今になってあなたが本当に頼れる人だと分かった、私のような小人には務まらぬことだが、もしこの通りに行えば、鄭国は本当にあなたを頼りにするだろう、二三の臣下だけの話ではない」と述べた。孔子はこの話を聞いて「これを見れば、人が子産を不仁だと言っても、私は信じない」と評した。