春秋左傳事類始末鄭の罕・宋、施して徳とせず(鄭罕宋樂施而不德)
鄭では子展の没後子皮が飢饉に苦しむ民に穀物を配り、宋では司城子罕が公室・大夫の穀物を証文なしで貸し出し困窮者を救った話。叔向はこの両家が恩恵を施しても恩に着せないことを評し、両家の存続と隆盛を予言した。
年表(1件)
- 魯襄公二十九年前544年鄭の子皮と宋の子罕が飢饉に恩恵を施し叔向が両家の存続を予言した
魯襄公二十九年(前544年)
- 鄭の子展が没し、子皮がその位を継いだ。折しも鄭は麦の収穫前に飢饉となり、民が苦しんでいた。子皮は亡き子展の遺命として、国人に戸ごとに一鍾の穀物を配り与えた。これにより鄭国の民心を得て、罕氏は代々国政を掌握し上卿の地位を保つこととなった。
- 宋の司城子罕はこれを聞き、「善行に倣うのは民の望むところだ」と述べた。宋もまた飢饉であったため、平公に願い出て公室の穀物を貸し出させ、大夫たちにも同様に貸し出させた。司城自身も穀物を貸したが、証文を作らず、貧しい大夫にはそのまま与えた。これにより宋には飢える者がいなくなった。
- 叔向はこれを聞き、「鄭の罕氏、宋の楽氏(子罕)は、いずれ滅びる家ではないだろう。両家とも国を得るかもしれない。民が心を寄せるのは、恩恵を施しても恩に着せない者にである。楽氏はそれをさらに徹底しており、宋の盛衰はこの家によって決まるだろう」と評した。